週休2日はあまりにも短すぎる。
社会人となり、真っ先に感じたことである。
学生の時と休日の時間は変わっていないのに、こんなにも足りないと感じるのはなぜだろう。朝起きて、家を出て、帰宅するまでの時間がこんなにも長く感じるのはなぜだろう。どうして私はここで身を粉にしているのだろう。そして休日があっという間に過ぎていくのはなぜだろう。
22歳。大学を卒業し、就職してしばらくが経った。研修も終えて通常業務のOJTが進んでいくのだが、次から次へ覚えることが出てきて大変だった。自宅では分からなかったことの復習、知らない言葉や仕組みの勉強。長期課題もできるだけ早くやれと言われた。
平日は、帰宅して夕飯を食べてお風呂に入れば2時間は平気で過ぎている。目安としている就寝時間までは残り2時間弱。定時で帰ったときでこれだ。
なんとも言えない虚無感と疲弊した心。このままで良いのだろうか
とある休日。ふと思った。このままで良いのだろうか、と。
「働く」ということは、学生の頃より遥かに責任が重く、体力的にも負担が大きい。
最初のうちは、これが働くことかと感慨深い気持ちでいたが、次第に身を削っていくことしかできない自分に気づく。
平日は、仕事で身を削っているのなら、自宅では好きなテレビを見て、ゲラゲラ笑う時間があっても良いのではないか。
休日は、思いっきり予定を詰め込んで、好きな事だらけで過ごしてもいいのではないか。
しかし今は、なんとも言えない虚無感と、笑えないくらい疲弊した心、好きなことってなんだっけ、と自分を見失っていた。
新卒あるあるだと思う。このころまでは。
けれど、自分の中で覚えた違和感は消えることなく、長い勤務時間、一瞬で通り過ぎる休日を繰り返していた。
社会人2年目ではまった負のスパイラル。逃げたけど後悔はしなかった
なんとか踏ん張りながら乗り切った1年目。
2年目となり、気を新たに頑張ろうとした時、上手くいかなくなった。なぜ私がここにいるのだろう、という疑問が消えないまま仕事をしていたからだ。仕事の意味が分からないまま体を動かしても、当然仕事を覚えようとする気になれない。
早く倒れないかな、ドクターストップがかからないかな、と他力本願なことばかりを願いながら生きていた。
疑問に首をかしげすぎたのだろうか。社会人となり1年半が過ぎようとするとき、負のスパイラルにはまった。
周りは、2年目になってから環境が大きく変わったからだと言った。けれど違う。本当は、そうやって環境のせいにするあなた達のせい、そう心のなかで叫んだ。
職場に貢献したいとは微塵も思わなくなった。若手だから課される課題はたくさんあるけれど、頑張って取り組めば、そのたびに潰そうとしてくる人たちがいた。こんな実態でよく順応して働けているものだと関心さえした。
これ以上ここにいても、自分が再起不能になるだけだ。
そう思った私は、逃げた。
背中を向けて、関連する人やもの、キーワードさえも無視して突っぱねた。
俗に言う、「休職」だ。
走って逃げた。けれど後悔はしなかった。驚くことに、仕事に穴を開けることへの罪悪感は微塵もなかったのだ。よっぽど逃げたかったのだと私は思った。そして、ここで逃げることを選択できた自分を褒めていた。
仕事と私のちょうど良い距離感を探しながら、再び社会と関わりたい
そんな社会人のスタートを切った私は、再び前を向けるようになった。社会と関わりたい、働きたいと思えるようになったのだ。
しかし、会社員として常勤で働くのではなく、非常勤として働こうと思っている。
職場から逃げて、自分を見つめ直してみて気づいたことがあった。
それは、仕事のジャンルが嫌いなわけではなかったということ。自分にとって誇りを持てる部分がほんの僅かだがあることに気がついた。問題なのは、環境と働き方だったのだと。
あっという間に過ぎる週休2日は、もうしない。
これからは、自分がまた前を向けるようにする充電が、しっかりと出来る働き方をしようと思ったのだ。それが非常勤という働き方。必ずしも仕事を「本業」にしなくてもいい。私は今の仕事を「副業」にしようと思った。
仕事は必ずしもドンピシャな関係でいてくれるとは限らない。自分との距離が適正であることのほうが少ないのだ。今現在の仕事とわたしの関係は、再び私から歩み寄っているところだ。
ちょうど良い距離感を保てるよう、それぞれのあり方を探している最中なのである。