正社員じゃなきゃ、社会人として一人前じゃない。
そう思って就活をして入社した会社は、一年足らずで辞めた。
理由は適応障害。環境に馴染めず、心身ともに疲弊し日常生活に支障が出るストレス性のメンタル不調のことを指す。もちろん環境とは職場のことだ。

適応障害になり、一から頑張ろうと転職。仕事が楽しいと感じていた

私は頑張っていた。
東北から上京してきて、右も左もわからず友だちのいない一人の状態で、毎日寝起きして弁当を作り、一人で暮らしている家を出る。
与えられた指示を聞きながら、自分の考えを織り交ぜて形にしていかなくてはならない。考えながら、一緒に働いている人と意見を交換し、仕事を完成させていく。それが成果につながって褒められると、もっと頑張ろうと思える。

しかし辞めてしまった。
なぜだろうか。退職後、蓄えていた貯金と親の援助を受けながら転職活動をした。また正社員として、一から心を改めて頑張るために。

無事に正社員登用され、私はまた社会に出ることにした。全く新しい自分になるために、今度は前職とは異なる業種についた。

接客をメインとした店舗勤務になったが、自分が頑張った分だけ個々で成果が与えられる。同じ業務を個人戦で頑張るタイプだったので、スタッフとは切磋琢磨しながら高め合う。誰かが成果を上げればみんなで喜び、私が成果を上げてもみんなが褒めてくれた。
一年過ぎ、私はこの仕事が楽しいと感じていた。それほどにこの環境は、自分にとってストレスのないものだったのだと思う。

もっと会社の役に立ちたい。本社へ異動し、私は再び適応障害になった

もっと会社の役に立ちたい。働いている子たちがもっと気持ちよく働けるような会社にしたいと思い、私は異動願いを出した。
店舗勤務から一転して本社勤務。憧れのOL生活。オフィスカジュアルの服を着て、メイクもそれに合わせる。仕事は一人ではなく部署のみんなで頑張るものになった。
そうして三年目、私は再び適応障害になった。

なぜ?自分でも理由がわからなかった。
楽しく働けていたのに。この会社が好きで、ここでもっと頑張りたいと思っていたのに。
その時私は、ようやく自分自身に目を向けた。
なぜ私は二度も適応障害になってしまったのだろう?会社に理由があるの?一緒に働く社員に理由があるの?

考えて考えて、思い至ったのは、私は仕事に理想を託しすぎていたということ。
社会人になったのだから、バリバリ働けるようにならないと。仕事を通してキラキラ輝く私。認められて頼られる私。誰とでも仲良くできる楽しい人である私。そして協調性がある私。

そのどれもが、実際の私とかけ離れている。本当の私は人と合わせて話すのが苦手で、うまく話せないことにイライラしやすく、メンタルを摩耗しがちで、そのせいで表情が硬くなり話しかけられづらくなる。そんな自分を理解しているからますます自分を肯定できずに、意固地になって理想を追い求めようとする。これでは堂々巡りだ。

何が正しいのだろう?正社員だけが社会人の条件だと思っていた

現在二度目の休職中となり、改めて仕事について考えてみた。
大学時代にアルバイトしていた喫茶店は、四年間も勤務していた。長いほうだと思う。楽しいだけのアルバイトではなかったが、長続きしたのには理由があったのだろう。
正社員として出社し、顔を合わせて働くことが正しいと思い込んでいた。それだけが社会人として認められる条件だと。

本当は何が正しいのだろう?どの仕事が正しいのだろう?
まだちゃんとした答えは出ていないが、もしかしたら、自分が自分でいられる仕事こそが正しいと言えるのではないだろうか。