AIが人を使う時代がやってきた。
純度100%の文系女にとって、AIと言えば、スマホとかロボットに入っている人工知能とかIT産業とか……要は、よく分からないけど、何だか私の生活にいつの間にか入ってきていた便利なモノ、といった印象だ。

そのAIがやがて人を支配する時代が来る、と言っていたのは誰だったか……。ロボットが人間の知能を超え、支配しようとする映画の設定はよくあるけど、それが実際そうなるなんて考えたこともなかったし、そう警鐘を鳴らす人を信じたりはしなかった。
だが、現在私はAIに使われようとしている。

AIが作るシフト。出来ることが少ない人は外される恐れがあるらしい

ある日の朝礼での事だった。
私の勤める、ある大型店舗では、その日の業務内容が1時間ごとに区切られ、各々に業務が与えられている。例えば、1時間はフロア内掃除、その次の1時間はレジ業務、その次は品出し……など1時間ごとに業務が変わるのだ。
その“当日シフト”を制作するのは4人のパートリーダーで、自分の担当の曜日のシフトを毎週作成していた。その“当日シフト”を作る手間を省くためにAIが投入される、という報告があったのだ。

最初、リーダーたちの仕事が減るからいいじゃん、と呑気に聞いていた私だったが、段々と雲行きが怪しくなった。
AIに全社員の出来ることを入力し、それを基にAIが当日シフトを生成するらしいのだが、もし出来ることが少ない社員がいれば自動的に外され、出勤日数が減る恐れがある、らしい。

おぉ、そ、それは困る……と皆からどよめきが沸く。
勿論、私も例に漏れず同じ言葉を呟いた。

そもそも私は仕事に対して積極的ではない。
もっと仕事の内容を覚えて、もっともっと上を目指していこう、と思えないのだ。

私は誰の人生を走ってきたのだろう。上を目指そうと思えなくなった

以前は、その想いがあったはずだが……、ある時、仕事が私の人生の大半を占めているにも関わらず、私の人生が一向に楽しくなっていないのに気が付いた。
休日は大抵疲れた体を休めるために家で寝てばかりいたし、次の仕事の心配事や不安を抱えて、「あぁ、早く出勤してあの仕事を片付けてしまいたい……」とすら思っていた。

確かに、お金は手に入れられた。パーッと使って旅行にも行った。だけど、それは一過性のもので、終わってしまえば更に重くのしかかる現実があって、終いには自らどこかへ出かけることはなくなった。

そうしてふと立ち止まった時、私がこんなに時間を費やしてやっていることは、自分の未来の為ではなく、会社の未来の為なのだ、と気が付いてしまって……。
やりがいや生きがい、成長の楽しさ、社会貢献……そんな言葉を人参の様にぶら下げられて、私は誰の人生を走ってきたのだろうか、と思った瞬間、以前勤めていた会社は辞めていた。

そんなこんなで、その答えを見つける為、自立やら依存やら、スピリチュアルやら、量子物理学やら……様々な学問・知恵・経験をまるでショーウィンドウを見ながら散策するが如く流れるように見てきたのだが、それは今回のテーマではないので割愛。

会社の目標を自分の目標と錯覚して、このまま生きていくのだろうか

まぁ、そんな私だ。
仕事は程々に、頑張り過ぎないがモットーなのだ。

私は真面目だから絶対誰かの期待に応えたくなる。だけど、その先にあるものは私本来の喜びではないと知っている。だからこそ、私は私の声に慎重に耳を傾けながら仕事をしていた……ので、私は同期と比べて圧倒的に出来ることが少ないのだ……。

AIは会社の売り上げを伸ばすために、効率よく“私達”を使うだろう。きっとリーダーたちよりも……。だけど、そこに人の血は流れていない。私たちの得手不得手、性格は反映されない。
「使えなければ使わなきゃいいって回路のAIに、はじかれないように出来ることを増やしましょう」と、その日の朝礼は締めくくられた。

近い将来、私はAIに使われる。そして、その違和感も数か月したら慣れて当たり前になって、算出された数字を達成するために動いていく。そうして私はこのまま会社の目標をまるで自分の物と錯覚して達成したり、しなかったりして生きていくのだろうか。

仕事とお金を抜きにした私の人生・やりがいは、AIには分からない。グーグルで「私の人生」って調べられて載っていたら楽だけど、そこは自分で考えていくしかない。
その為に私は今一度、この“仕事”との付き合い方から向き合っていくことを始めなければならない。