親友にも気軽に会えないこの2年。いつか笑い話にできるかな

コロナ禍になって約2年が経とうとしている。
コロナ疲れ、リモート会議、Zoom合コン……最初こそ、この新しい時代を受け入れようとみんな必死に頑張っていたような気もするが、段々とそれにも疲れてきてしまった。今はニュース番組はほとんど見ずに、ネットニュースで済ませてしまっている。
気軽に人に会い、飲み会をし、街に繰り出して、旅行にでかける。そんな時代は幻だったのかとさえ思うようになってしまった。
こんな時代が来ようとは、人生何があるか分からないということが、万人共通で起きたとても珍しいことだと思う。……後になって笑い話にできているといいな。

今は子供がいるので、特に気を遣うし気軽に旅行にも行けない。産まれてから県外の家族に会わせるのも年に1~2回。友達にも全然会えていない。
友達はまずまず多いほうだが、親友と呼べる友達は九州に住んでおり、気軽に会えない状態だ。
それでも、コロナ前なら年に1度は会っていた。私の数倍フットワークが軽い彼女は、結婚しても年に1度友人の集まりに顔を出すような子で、とても仲良くしていた。

同じ寮にいた親友。最後の日は笑いながら泣いていた

元々は大学の寮で一緒に生活をしていた子。初対面からビビビと感じ、何やら馬が合うなとお互い思っていたと思う。
高速バスで東京に向かい、1日お互い全然違う場所で楽しんで、夜合流して泊まる。そんなことが許される、「気のおけない」という言葉がぴったりの関係だった。

私は彼女に憧れている部分もあった。あっけらかんとして、誰にでも態度を変えず自分らしくいられるような人で、人見知りで八方美人の自分からしたら羨ましかった。
また、思いきりがいいところもあり、高3の夏休みに九州から一人で北海道を旅行したという話を聞いたときには尊敬の思いだった。小心者の自分にはとてもそんな大それたことはできない。

そんな正反対に見えるようだが、なぜか話が合い、学生時代は一番仲良くしていた。卒業式のあと、寮の最終日に私たちは色んなことを話しながら眠った。
朝になり、私の父が昼御飯にと持ってきたお弁当を二人で食べたのだが、そのご飯が冷めてやや固かった。
「ごめん……これ固いわ。電子レンジ、もう段ボールの中だし……」
「全然~。……まぁでも固いなぁ」
と二人で笑い合っていると、寮で過ごした日々や学生生活がまざまざと蘇ってくる。

いつの間にか二人で笑いながら泣いていた。衝撃だった。今まで卒業式で泣いたことも、友達と離れることを辛く思ったこともなかったからだ。
人生で初めて、何か考えるより先に涙が出てきた瞬間だった。

離れてからも、昨日会ったかのようにつながっている

私たちは何か前世で繋がりがあったのだろうか?そう勘違いしそうになるくらい、彼女とは特に馬が合ったし別れが寂しかった。彼女が卒業後に遠く離れた地元に戻るということもまた、別れを実感させる一因だったかもしれない。

とはいえ、今は新幹線でも飛行機でもテレビ電話もLINEも何でもある時代だ。疎遠になるというほうが難しいかもしれない。
私たちは社会人になってからも、お互い思い付いたように、昨日も会ったかのように連絡を取り東北のフェスに行ったり、旅行に行ったりした。
長く会わない時も感動の再会などはなく、「よっ!」という感じでお互いを迎える。彼女とはきっとこれからもそうなんだろう。

つい最近もおもむろにLINEをし、昔話や最近のテレビについて話したりした。
2年間は直接会ってないが、早く会って子供を彼女に会わせたい。そしてくだらない話をしながら、おしゃれなカフェでお茶したい。お酒でもいい。
その日を心待ちにし、今は自分の置かれた場所で日々がんばろうと思う。