「先生に、礼!」
正座で床に手をつき、深く頭を下げる。練習後の全身の疲労が眉間に溜まってくるような感覚、汗のしみ込んだ防具のにおいが鼻をつく。
顔をあげ姿勢をただし、上座に座る先生の眼鏡の奥を見つめ、練習の講評を熱心に聞く……フリをする。
ちらりと道場の隅にかかっているカレンダーを見やった途端、頭の中はこんな考えでいっぱいになるのだ。
「あ~~~今日帰ったらチョコ作らなきゃ……めんどくさ」
全員にチョコを渡さなくてはならない。剣道部に存在する暗黙のルール
高校に通っていた3年間、私は剣道部に所属していた。
朝練のため7時には学校に行き、授業後に部活をして家に着くのは夜9時ごろ。練習が休みの日なんてほとんどない。怖い先輩、厳しいOB、独裁者のごとき顧問に閻魔大王のような外部コーチ。
練習後はヘロヘロになって帰宅、母が夕食の準備をしてくれているあいだ眠気に耐えられず食卓に突っ伏し、食後に風呂で爆睡してしまい怒られる。
そんな生活の中で2月14日、バレンタインデーだけは女子高生らしい甘酸っぱい思い出の日になるかというと、全くもってそんなことはなかった。
『女子は部活の顧問・部員全員に手作りのチョコを渡さなくてはならない』
こんな暗黙のルールが存在することを、1年生の2月13日に聞かされた。
当時、自らチョコレートを渡したいと思える相手もいなかった私は、バレンタインデーに向けた準備など一切していなかった。
顧問の先生と男女の先輩、同期の部員合わせて30人ほど。この人数分を急遽作成しなくてはならなくなった私は、練習後スーパーに寄ってほしいと母にお願いした。材料費はかなり高かった。
眠い目を擦りつつ全員分のトリュフチョコレートを作り、100円ショップで購入した小袋に詰めて申し訳程度のラッピングを施す。
正直なところ、溶かしたビターチョコレートに生クリームを加えて形を変えた程度の代物で、作っている最中も「なんとかして早く寝たい」ということ以外は考えられなかった。包装までし終えたのは午前3時ごろだった。
授業も部活も散々だったのに、受け取る側の反応は…。涙が出た
翌日の朝練習後、1年生の女子部員全員でチョコレートを配った。
男女問わず、受け取った時の先輩たちは「ああ、毎年のやつね」といった程度の反応で、特に喜ばれた印象はない。配り終えた後に2年生の女子の先輩に部室に呼ばれ、「3年生女子の前で男子にチョコを渡してはいけない」と言われたことは覚えている。
その日は授業も全く集中できなかった上に、部活でも動きが悪かった。普段は難なくこなせるようなメニューで疲れ、試合形式の練習では先輩に手も足も出ずボコボコにされる。
練習後に意気消沈しながら道場の掃除をしていたとき、3年生女子の先輩たちがこちらにやってくるのが見え、「お疲れさまでした!」と頭を下げた。
彼女たちは「チョコレートありがと~。みんなのやつ昼休みに食べたよ~」と言って笑った。そして、とある女子部員の作ったチョコレートが、焦げ臭くて食べられたものじゃなかったという内容の報告をして去っていった。
その日はタイミングがなく、顧問にチョコレートを渡せたのは彼が駐車場で車にキーを刺し、今まさに帰ろうとしているときだった。
私が「遅くなって申し訳ありません」と言って差し出すと、彼は一瞥もせずそれを受け取り、「お前今日ダメダメだったな。こんなことしてる暇ないんじゃないの?」と言った。
迎えに来てくれた母の車に乗り込み、ドアを閉めた瞬間に涙が出た。
その翌年のバレンタインデーも、同じように睡眠時間を削って全員分チョコレートを作った。
3年生になって先輩がいなくなったとき、後輩の女の子たちには「今年から全員分は作らなくていい。怖いから顧問の分は作ろう、怖いから」と伝えた。
25歳になった今、チョコレートを手にほくほく顔で帰路に着く
25歳の今、私はデパートの食品売り場に来ている。
「これ2つください」
そう言ってケースの中の小さな箱を指さす。ドーム型のぴかぴか光るチョコレートが6個入ったそれを、しっかりした造りの紙袋に入れてもらい、ほくほく顔で帰路につく。
一つは大事な人にあげる用、そしてもう一つは自分用だ。このあと帰って濃いめのコーヒーを淹れて、映画でも見ながらチョコレートをつまむのだ。カフェインの取りすぎで眠れなくなるかもしれないが、たまには良い。
2月14日が大嫌いなあの頃の私へ。バレンタインデーは楽しいぞ!