もし今誰かに会えるなら、わたしは過去のわたしに会いたい。
過去と言っても何年も前の遠い過去ではなくて、1年、2年前のわたしに会いたいのだ。会って、とにかく優しく力強く抱きしめてあげたいのだ。

社会人1年目。順応できず自己嫌悪。将来に絶望していた

当時のわたしは社会人1年目、そして今のわたしと別人ではないかと思うほど、心が荒んでいて、悲観的で、焦燥感に駆られていて、人にも自分にも否定的で、自分のことが嫌いで、心がボロボロだった。

大学を卒業して地元に戻り、就職活動を早く終わらせたい一心でいちばん最初に内定が出た会社に、社内の雰囲気がなんとなく良さそうだという理由だけで入社して、安心できる地元でいちおう社会人デビューを果たし、表面的にはまあ順調に人生のコマをすすめていた。
しかし、わたしの心は簡単にはその環境に順応できなかった。わたしはあっという間に会社に行くことが辛くなってしまった。

会社の先輩たちや上司はみないい人たちで、何もできないわたしに丁寧にたくさんのことを教えてくれたし、とても良くしてくれたのだが、車で1時間ほどかかる通勤時間せいで毎朝5時半には起きなければいけなかったこと、勤務時間の大半をひとりで行う外回りや、何かと煙たがれる訪問活動、電話活動に費やさなければいけなかったこと、同じ支店に配属されたたったひとりの同期の女の子のことがどうしても好きになれなかったこと(ゴメンね、今ではとても尊敬しているし大切な友達だ)など、いろいろな理由が重なって、精神的に参ってしまった。

しかもこれらのストレスのほとんどは、自分の将来をきちんと見据えず就職活動を楽に終わらせたいという過去の自分の甘い考えからきているものだということもわかっていたので、強い自己嫌悪と後悔の念も重なって、さらに苦しくなってしまっていた。

また、大学生活の4年間を華やかな刺激や楽しさに溢れた活気のある都会で過ごしてその環境にすっかり慣れ切っていたわたしは、中途半端な都市と中途半端な田舎をミックスしたような地元が恐ろしく退屈で野暮ったい場所に感じていた。
自分はなんでこんなにつまらないところへ戻ってきてしまったのだろうとイライラし、社会人になって週5で1日8時間働かなければいけないことで、趣味や遊び、息抜きにあてられる時間が学生時代に比べると一気に減ってしまったことを実際に体感したときには、これから数十年はこんな生活を送らなければいけないのかと眩暈がするほど絶望していた。

辞表を出し、灰色の生活から脱出。徐々に元気を取り戻した

期待や希望、新しい刺激や出会いに満ちているはずだったわたしの新生活は、ストレスと自己嫌悪、劣等感、懐古主義、ドロドロと澱んだ灰色一色に染まり、わたしはどんどん塞ぎ込んだ。
心は柔らかさを失い、見るもの全てが魅力的でなく、他人の言動ひとつひとつをネガティブに解釈し、自分はなんてダメな人間なんだろうと思い詰めて落ち込んでいたかと思えば、こうなったのは周りの環境が悪いからだと開き直って怒ってみたり、楽しく笑っていたかと思えば突然涙が出てきたり、ほとんど躁鬱病のようになってしまった。
正確な診断を受けたわけではないが、当時のわたしの様子や精神状態を思い返すと、明らかにそれだったなあと思う。家族や友人にも、いろいろと迷惑をかけてしまった。

そんな状態でも仕事中や人前では何でもないように振舞い続けて10ヶ月ほど経った頃、わたしの中の何かがぷつりと切れて、両親にさえ何も言わずに勝手に辞表を出して、会社を辞めてしまった。
一度全てリセットしたかった。仕事を辞めて、いったん先は見えなくなってしまったけれど、あの鬱屈とした気持ちを抱えたまま過ごしていくよりはずっといいと思った。後悔はなかった。

その後わたしは、楽に無難に、人にどう思われるかを気にして妥協して仕事選びをすることは絶対にしないと誓い、数ヶ月の無職期間を経て、昔からずっと大好きだったコーヒーに関わる仕事に就くことができた。
お給料は会社員をしていた時よりずっと安いが、好きだと思えることに日々携わっていることで、大変なことも含めて、毎日が自然と楽しくなっていった。

空いた時間は、もともと興味があったことについての勉強や創作などに積極的に取り組むようになり、わたしの心は潤いと元気を徐々に取り戻し、日常の小さな幸せや喜びにも気付けるようになっていった。

自分が心地よくいられる場所を求めるのは当たり前のこと

心に余裕が出てくると、人にも自分にも優しくできるようになる。あの頃のわたしはこんなことを思う余裕はなかったけれど、わたしはいつも多くの人に大切にしてもらって、優しさを貰って生きているのだなと自然と感謝できるようになった。心から楽しいと思えることに前向きに取り組んでいる自分のことを、完璧ではないけどなかなか素敵じゃん!と、素直に思えるようになった。
あんなに退屈だと思っていた地元だって、自分が探そうと思えばいいところや魅力的なところはたくさんあって、行ってみたいお店や場所に足を運べる休日がとても楽しみになった。

人は誰でも、それぞれに合ったライフスタイルや環境がある。そこから明らかにズレた場所に身を置いてしまうと、本来の明るく真っ直ぐな生命力や魅力は伸びないし、そのこと自体に大きなストレスを感じてしまう。

それは環境のせいでも誰かのせいでも自分のせいでもなくて、単に相性、組み合わせの問題だと思う。自分が心地よくいられる環境を求めて居場所を変えようとすることは、悪いことではなくて、当たり前のことなのだ。

こういうことを少し先の未来から来たわたしが、過去のわたしに優しく伝えてあげられたら、全てに思い詰めていたわたしの心は軽くなり泣くことをやめられただろう。「あなたはとても苦しんだけど、自分の気持ちに素直になることを選んでくれたから、今の幸せなわたしがいるんだよ。本当にありがとう」と心から伝えたい。

こんなことは実際には実現不可能だけど、わたしは何度も、暗い部屋の隅で泣いたり怒ったりしている過去のわたしを優しく抱きしめてあげることを想像しては、あたたかい気持ちになっているのだ。