私は21歳の時に、女性の選ぶ職業上位に入るであろう専門職へ就職し、現在8年目を終えようとしている。
この仕事に就いた理由を聞かれた時、いつもこう答えていた。
「人の役に立ちたい」と。無難な答えだと返された気がする。
過酷でも、人間関係が辛くても、仕事が好きであり誇りだった
新人としての1年間は、要領の悪い私にとって仕事を覚えるだけで必死だった。一緒に入職した同期の誰よりも出来が悪く、人を相手とする仕事でもあったため、クレームが入ることもあった。自分の対応が悪い結果だった。
3ヶ月が経った頃、私には無理かもしれないと、タウンワークでアルバイトを探したこともあった。その頃の私にとっての仕事は、うーん、うまく言い表すことが出来ない。社会に出たから、「しなければならないこと」くらいに考えていたと思う。
2年、3年と年数を重ねるにつれて、一緒に入職した同期たちは奨学金返済、寿退社、その他諸々の理由により減っていった。その間、私は自分のペースながらも業務を覚え、新人からいつの間にか中堅と呼ばれる存在となり、後輩を指導する立場へ。
5、6年目。この頃には、私にとって仕事は「しんどい、けれども私のやりたいこと」の位置付けになっていた。将来、さらに深く勉強し、この仕事を極めたい。それ程、この仕事が好きであり誇りにも思っていた。
仕事中に関わる相手からの「ありがとう」。その一言で、業務が過酷であったり、人間関係が多少辛くても頑張ることが出来た。仕事を美化しているように思われるかもしれないが、その時はそう思えていた。
感染拡大で仕事は過酷に。仕事から逃げ出したいと思うようになった
7年目。世界中を襲ったそれにより、私にとっての仕事は存在を変え始めた。
未知のそれによる不安や恐怖、増える感染者数、ニュースは毎日その話。
今までと同じような生活を送ることが困難になった。
その頃、私は更に仕事を極めたいと考えており、上司にその相談もしていた。しかし、このような状況に陥ったことから、話は先延ばしになっていった。
来年には、落ち着くだろう。その時にもう一度話してみよう。甘い考えでその1年を過ごした。
8年目。それは弱まるどころか、更に勢力を増して私たちに降りかかることとなった。感染者拡大とともに、仕事はより一層過酷となった。
慣れない業務や感染症への不安、恐怖。全てが私に仕事として降りかかってきた。ニュースを観るよりも、身近にウイルスの恐ろしさを感じていた。
そのような日々を過ごしていたある時、仕事のことを考えると、ふいに涙が出るようになった。何も考えたくないと、ほぼ毎日過食を続けた。休みの日は過食して寝るの繰り返しを続けた。体重は大幅に増え、仕事の時間以外は、過食以外ほぼ何も出来なくなった。
あんなに好きだった仕事から「逃げ出したい」と思うようになっていた。
今の私にとって仕事は「しなければならないこと」。他に思いつかない
現在、仕事だけは行かなければならないという思いから、心療内科で薬を処方してもらいながら働いている。極めたかった、やりたかった、それほど「好き」だった仕事は、今私を苦しめている元凶になっている。
昔はあんなに「好きなこと」だったのに。
……いや、今も「好きなこと」なのだろうか。
それとも、「しなければならない」という使命感から、まだ働いているのだろうか。
この8年間を振り返り、今の私が「仕事とわたしの関係」を言い表すとすれば、「しなければならないこと」だろうか。他に言葉が思いつかない。
この先、仕事と私の関係は何か変化するのだろうか。それともこのままなのだろうか。それは未来の仕事と私の関係に追いつくその日まで、答えはお預けになりそうだ。