「よし、バリバリ働いて出世して、女だろうと男と同じくらいに頑張るぞ」
入社当初の私はやる気に満ち溢れていて、仕事を人生の大きな柱としようと意気込む、そんな新入社員だった。
大変なこともあるだろうけど、どれだけ辛くても歯を食いしばって頑張っていこう。きらきらした期待をこめて、社会人生活に飛び込んだ。
だけれど、仕事は想像以上の戦いで、辛いことの連続だった。
仕事にボコボコにされる私と、私が目指す姿そのものの同期
日々追加される仕事には締め切りがあるし、やりたくない仕事だってある。なんとか計画を立ててやってみようと思ったら、今度は急なトラブルが舞い込んできて予定通りにいかない。一所懸命にやって残業までしても、なぜだか思うように進まない。
結局、「終わりませんでした」と落ち込みながら上司に伝えれば、「なんでできなかったの」と説明を求められる。できなかった理由が自分でも分からないのに、説明を求められて詰められるように感じた。
仕事をしている人にとって、当たり前の風景なのだと思う。ただ、そんな当たり前に、私はボコボコにされ続けた。
落ち込む毎日。やりがいが徐々になくなってきたとき、ぽっきり心が折れた瞬間がある。同期の存在だ。
同期の中に、とても優秀で、1年目にも関わらず会社の顔となるような仕事を任されている人がいた。
その人は仕事と私生活の垣根があまりなく、私生活でも勉強しているように見えるのに、勉強が趣味だし楽しいと言っているような人だった。しかも活発で、いろんな人と繋がりを持っていて、結婚して夫婦仲も良い。
常に自分を高めて、どんどん上の仕事に挑戦していき、私生活も大事にする。その姿は、入社当初、私が目指していた姿そのものだった。
絶対に同じようにはなれないと、そう思ってしまった。
お金は増えたが、体重も増え、理想とは遠い。仕事が嫌いになっていた
くじけていても仕事は続く。働き始めて3年目、私は仕事が嫌いになっていた。
3年間、なんとか仕事をこなしていて、いつの間にか色々な事が出来るようになっていた。
自分の成長を感じて嬉しくなったけれど、出来ることが増えるという事は、任される仕事の量も増えるという事だ。
忙しくなって、ますます日々の仕事に追われた。トラブルがあって、帰りが0時を跨いだこともざらにある。
お金は増えたが、体重も増えた。ストレスで太る体質なのを、この時ほど実感したことはない。
仕事が嫌になってきた頃、ふと思った。
「なんで仕事しているんだろう。こんなにしんどい思いしてまでする事なのかな?」
私の答えはNoだった。
最初の理想は、仕事に生きて私生活も充実させる女性だった。だけれど、そんな女性になるためにやるべき事は、私には出来ない事がたくさんあって。それでも仕事を頑張ってきたけど、ただただ辛い、という気持ちだけが残っていた。
仕事はあくまで生きるためのスパイス。自分の時間も作ろう
私は仕事を大事にしすぎていたのだと思う。どれだけ仕事に打ちのめされようとも、歯を食いしばって立ち向かっていた。
それが悪いことだとは思わない。ただ、私はそれから仕事との付き合い方を変えた。
仕事は柱ではなく、あくまで生きるためのスパイス。必要がなければ無理はしないけど、頑張りたいと思ったら頑張ればいい。私のやりたいことを優先できるように、ちゃんと時間を作ろう。
出来ない仕事は出来ないと言えるようになった。抱え込む仕事が少なくなれば、他の仕事がスムーズに進む。きれいな気分で家に帰って、好きなことをする時間はとても充実していた。気持ちに余裕ができれば、困っている人に手を差し伸べられるようになった。皆の役立っている、という実感が仕事をしてよかったな、という気持ちに繋がった。
働き続けて5年、今でも仕事は戦いの毎日だ。打ちのめされて、心が挫けそうになることも多い。だけれど、全部の仕事を受けない、無理しない、頑張りたいときだけ頑張る、そうしたら、随分と仕事がやりやすくなった。
仕事に生きる事はできないが、今では仕事がちょっとだけ好きだ。