「仕事が好きか?」という問いに対して、以前の私だったら「好きだ」と答えていただろう。
私が入社した会社とは、大学院生の時に出会った。私の専門領域や学術的関心がこの企業の経営理念や業務内容にリンクしていたのだ。
私は面接を受け、内定を得た。そして、新卒として入社した。
入社後は研修期間があり、会社の業務内容全般を学んだ。学んだ業務は元々持っていた知識よりも、新しく学ぶことが多かった。それでも学ぶことが好きな私は楽しく、真剣に取り組んでいたと思う。

やりがいある仕事に誇りを持つ私は、入社10ヶ月目に休職した

入社3ヶ月目、配属先が正式に決まった。
配属部署は、社内で顧客とやりとりをする機会が最も多い。初めはプレッシャーだったが、先輩社員と同行し顧客と顔を合わせ意見を交わすことで、顧客の課題解決に協力できることがこの会社の強みだと感じた。
会社やその業界のニーズを認識したのだ。そして、この部署の一員として働いていこうと決心した。
学びと実践を重ねていくに連れ、仕事をする喜びとやりがいを感じるようになった。仕事も、顧客も、社員も好きになった。福利厚生などは十分とは言えないが、それも気にならない位、この会社で働くことに誇りを持っていた。

しかし入社10ヶ月目、私は休職することになった。
きっかけは入社5ヶ月目の終わり頃、上司の過剰な指導に耐えられなくなったのだ。

配属先の上司は仕事ができて役職もあり、顧客から信頼されている。私は知識や経験が豊富で、仕事熱心な上司のことを尊敬していた。
その一方で不安もあった。上司は社内での印象が悪かったからだ。
例えば叱責や文句。上司はノウハウに自信を持っているため、自分が満足しない仕事をした社員に度々強く指摘する。上司を苦手とする社員は多く、私も上司の癪に障らないように気を付けていた。

何度も続く長時間の指導。「もう限界です」と泣きながら訴えた

入社5ヶ月目のある週、上司の機嫌が悪かった。元々愚痴が多い上司だが、その週は特にひどかった。上司の感情の波が読めず、不安が募っていった。
その週、新人の私には難しい仕事をなぜかすることに。上司が一方的に指導していたが、私は理解が追いつかず必死だった。しかもその指導は長時間に及び、定時を大幅に過ぎていた。その週の上司に対しストレスを感じていたため、私は耐えることに必死だった。
翌日、前日のモヤモヤを払拭できないまま出社した。上司に業務の報告をしたところ、ミスがあったため指摘を受けた。それだけならよかったのだが、なぜか前日の指導が再開。前日のストレスは恐怖に変容し、目に涙を溜めながら指導に耐えた。
1時間以上経過し、耐えきれなくなった。私は一旦席を外し、他の社員に「もう限界です」と泣きながら訴えた。そして、私は会社を早退した。

翌週は周囲の計らいもあり、上司と距離を置いていた。そんな中、他の社員との会話中、いきなり上司が私に声をかけてきた。
私は驚きながらも応えたが、それと同時に涙が流れ落ちた。周囲もびっくりしたが、私自身も無意識に涙が出たことに驚いた。
心よりも身体が先にSOSを発したのだと気付いた。

「仕事が好きか?」という問いに、今の答えは「仕事『は』好きだ」

紆余曲折あり、また一緒に仕事することになったが、想像以上に私はダメージを受けていた。
食事が十分に取れなくなったこと、帰宅後や休日は寝込みがちになったこと、趣味や習慣が疎かになったことなど、私生活に支障が出るようになった。それでも仕事が楽しくなってきた頃だったため、心身のSOSを無視していた。
しかし、そのSOSは次第に増えていく一方。上司とのトラブルも何度かあり、最終的に仕事をすることが出来なくなったのだ。

現在も私は休職中だ。これまで一生懸命働いてきたつもりだったが、「仕事では嫌な人とでもうまく人間関係を築くこと」「心身のSOSを無視してはいけないこと」を身を持って学んだ。

「仕事が好きか?」という問いに対して、今の私は「仕事『は』好きだ」と答える。今後どのように仕事と向き合うか、考えながら過ごしている。