いつも何かと戦い続けてきた。孤独で弱音を吐けなかった日々
私は昔から何かと戦っていた。
小学1年生から高校生3年生までやっていたバレーでは、小中高ずっとエースをしていた。
自分で言うのもなんだが、私より上手い人がいなかったから、必然的にずっとエースを任されていた。そんなバレー生活はいつも孤独だった。
「みんなを引っ張らなきゃいけない」
「誰よりも頑張って点を決めなければいけない」
ひとりでプレッシャーと戦い、誰にも弱音を吐けない日々だった。
大学生になり、医療系の学科に入った私はそこでも変わらない生活を送っていた。
実習は同級生と助け合っていたが、毎週のように行われていたテストでは常に順位をつけられ、掲示板に貼られる。成績によってクラスや講義の席順が変わるためみんな必死になって同級生を蹴落とす日々。
常に何かと戦い続けていた私はそれが当たり前だと思っていた。
「なんでひとりで抱え込むの?」その問いかけに涙を流した
無事、国家試験に合格し、大学を卒業した私は病院に就職した。
配属先の部署で2人の同期に出会った。おっとりした温厚な性格で私と同い年の男の子と、愛嬌のある人懐っこい性格の一つ年下の男の子。
2人とスタートラインは同じはずなのに、気が付いたら私よりも前を走っている気がして絶望した。走っても走っても2人との距離は縮まない。今まで常に誰かと比較されて生きてきた私は、無意識のうちに仕事ができる2人と自分を比較してその度に落胆した。
「自分はこんなこともできないのか」
「毎日こんなに怒られてるのはわたしだけ」
「私には医療現場は向いていない。夢を間違えた」
毎日辞表を書こうと思っていた。そんなもがき苦しむ私を同期の2人は本気で怒ってくれた。
「なんでひとりで抱え込むの。俺らと一緒に戦ってみんなで勝ち続けようよ」
その一言で私の心は一気に軽くなった。
まるで「ひとりじゃないよ」と言われてる気がして、嬉しくなった。
涙腺が崩壊した私は号泣しながら、今まで苦しかったこと、つらかったことを全部2人にぶちまけた。
「頑張ったね」じゃなくて「俺もそうだよ」と共感してくれたことで、私と同じ位置にいたことを再確認した。
ずっと前を走り続けてたと思ってた2人は、道が違っていただけで、私と位置は変わらなかった。
狭くなった視野が広がり、よく見ると私と同じようにミスをして怒られる2人を見てひどく安心した。私と同じだ、と。
それから戦友になった私たちは弱音や愚痴だけでなく色んなことを話した。
命と向き合う現場で、2人の戦友と一緒に戦い続ける
病院という命と向き合う過酷な現場で戦い続けて4年が経った。
毎日、目の前の命に真撃に向き合い、上手くいくこともあれば、時には打ちのめされる。
だけど前の自分とは違う。私には共に戦う同期がいる。その存在が私の心を強くした。
私たち3人は家族でも友達でもない、戦友だ。今では、仕事の面でも精神的な面でもお互いを必要としている。いなくてはならない存在。
もうすぐ彼らとはお別れだけど、土地は違ってもずっと戦友なのは変わりない。
私の心の中に彼らの存在がある限り、私は命と向き合い続けることが出来ると思う。
彼らに出会えた事で、今の私がある。