学生時代にはいくつかの職種をアルバイトで経験した。大学卒業後は歯科医師として働くことが決まっていたから。
ケーキ屋さんでフルーツを切ったり、シュークリームにクリームを詰めたり、派遣のバイトでライブスタッフをしたりもした。家庭教師もしたし、街コンで司会もしていた。どこに行っても初めての世界が広がっていて楽しかった。
それでいてお金がもらえるのだから、働くって素晴らしいことなんだと思った。給料日に記帳するのが毎月の楽しみになった。

試験に落ち、ニートに。社会人になった周りが話す愚痴すら羨ましい

大学卒業後、国家試験に落ちたため、1年間ニートをしていた。生きているだけでお金がかかるのに、予備校まで行かせてもらっていたために出費のかさむ日々だった。
両親はわたしの精神面を心配し、お金の心配はしなくていいと言ってくれたけど、申し訳なかった。時々勉強に行き詰まると、自分の将来が不安になった。
今のわたしに存在意義はあるのか。同級生たちはみんな社会に出て一生懸命働いているのに、わたしはただ足踏みをしているだけで、息抜きをするにもお金は必要で。社会人ってしんどいと話す周りのみんなの愚痴すら、心底羨ましかった。

この時わたしは、人生最後になるかもしれないアルバイトをすることに決めた。
勉強と並行して短期のアルバイトを始めると、少しも働いていなかったころに比べてだいぶ心も落ち着いた。なぜか勉強も捗った。
無事に国家試験にも合格し、春から社会人として働くことになった。ホッとした。

仕事中心の生活で気持ちが塞ぎ込む。なんのために働いているんだろう

社会人になって一番変わったことは、当たり前だけど仕事中心の生活になったことだ。1週間の活動している時間のうちの半分以上を仕事に費やす。
アルバイトをしていたころの気軽さは全くなくて、働くって大変だと思った。夜、家に帰るころにはくたくたで、遊びに出る元気なんてなかった。家と職場の往復にコロナの追い討ちも相まって、友人とのやりとりもSNSばかりになってしまった。大好きな旅行にも行けず、休みの日も1人で家にこもっていたら、気持ちが塞ぎ込んでしまった。わたしはなんのために働いているんだろう。

いろんなことを考えた。
生きるためにお金は必要で、働くことは社会的な存在意義にも繋がる。だけどわたしは働くことだけに捧げる人生は嫌だ。
好きなことをして、好きな人と会って、好きな自分でいたい。仕事は仕事、プライベートはプライベートで分けないと、どちらも投げやりになってしまう。
だから勤務時間は全力で頑張る代わりに、なるべく早く帰宅できるように、自由な時間を確保できるように努力することにした。長い時間仕事をしている人たちは本当にすごい。家族がいたり、守るべきものができたりしたらわたしも変わるのだろうか。

今感じているわたしの気持ちも、たぶん1年後には変わっている

今感じているわたしの気持ちも、たぶん1年後には変わっている。もしかしたら仕事が楽しくてたまらなくなっているかもしれない。そうだったらいいなとも思う。
世の中の状況が落ち着いて、自由時間にできることの選択肢が増えていたらいいな。そしてこれからも、忙しい毎日で見失いそうになることも多いけど、朝起きて飲む一杯のコーヒーのような、だれかとありがとうと言い合えた時のような、晴れた休日の朝に好きな音楽を聴きながら散歩をする時のような、日ごろの小さな幸せに気づけるわたしでいたい。
さて、また明日から頑張ってみようと思う。