18歳、大学受験に落ちたばかりのあなたへ

「絶対に、どうしても、第一志望の大学の入学式に行ってほしい。私の決意は本気だから、その大学じゃないのなら行かないでほしい。不合格の自分は嫌いだ」
17歳の夏休み、私は来春の自分に向けて手紙を書きました。高校生の私は本気でした。

スケジュールを立て、毎日机に向かって何時間も勉強しました。
机に向かっていない時でも、自転車に乗りながら数学の問題のことを考えたり、お風呂に入りながら世界史の年号の語呂合わせを考えたりしました。
憧れの大学で送るキャンパスライフを想像すれば、遊びたい気持ちを我慢することは難しくありませんでした。

卒業式当日の合格発表。その日が今の私へのスタートだった

18歳の3月1日。高校の卒業式とともに私の第一志望の大学の合格発表日でした。卒業式は午前に行われましたが、合否だけが気になって、校長先生の話も、送辞も答辞も全く耳に入ってきませんでした。もしかしたら、それ自体なかったかもしれません。

正午、教室から合否発表のテレホンサービスに電話をかけると、「残念ながら、あなたは……」という女性の無機質な音声が流れました。
「残念ながら」という言葉だけで一瞬思考が止まって、自分にしていた期待が静かに崩れ落ちました。

友達には「行きたいところには落ちちゃったけど、第二志望に受かってるから大丈夫〜!」とニコニコしていましたが、本当は悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。親も親戚も、大学進学に喜んでいましたが、私だけ内心喜びきれず、当人なのに置き去りにされたような気持ちでした。

それでも、経済面や家族のこと、また勉強漬けになる日々のことを考え、浪人をすることは選びませんでした。受験生だった過去の私を裏切って、私は第二志望の大学の入学式へ向かいました。

しかし、複雑な思いを抱えていたのは4月まででした。大学生活は思っていたよりもずっと楽しいものでした。
ずっと興味があった会計や簿記、証券の勉強も思う存分できました。大学の図書館は迷子になりそうなくらい広くて、ありとあらゆるジャンルの本を読むことができました。何よりも、出身地や年齢も様々な個性ある友達は、私の視野を広げ、生活に刺激を与えてくれました。

高校生の私を私だけは褒めてあげる。努力の実はちゃんと結ぶから

高校生の私は、学歴という分かりやすい肩書きに憧れて一生懸命頑張っていたのだと思います。間違いではありません。目に見える目標を自ら立てて、努力の仕方を自分で考え、突き進んだ私はとても偉い!

きっと、高校生の私は結果が出なければ全て無駄だったと言うと思います。
でも、今の私は「高校生の時に本気で頑張れたこと」を経験値として生きています。あの時も頑張れたから、仕事の勉強も一生懸命にやろうと思えます。
自分のことを努力家であると信じられることは、日常生活を送るうえで、自然な自信に繋がっています。受験の経験は全く無駄ではありません。

あの時、第二志望の大学に受かったという結果を褒めてくれた大人はいましたが、その過程である頑張りを褒めてくれた人は一人もいませんでした。だから、大人になった私が褒めてあげます。

高校生の私よ、毎日コツコツと頑張ってくれて本当にありがとう!すぐに目に見える結果にならなくても大丈夫。未来の私が立派な人間になって、その努力の実をちゃんと結びます。