気付けば、大学3年の冬を迎えていた。コロナ禍で毎日一人孤独にパソコンと向き合うオンライン授業が続く中で、友人たちの就活の話も耳にすることはなく、周りの動向が見えないので完全に油断していた。久しぶりに友人と連絡を取ってみると既に早期選考を受けていたり、積極的に説明会に参加していたり。私も本格的に就活を始めなければ…という焦りに苛まれる。
なぜ就活をするのかと考えたけど、しっくりする理由が見つからない
そんな時、ふと考えた。それにしても、私はなぜ就活をするのだろう。周りの友人たちがしているからするのだろうか…?それは違う…。
社会に貢献したいから…?お金を稼ぎたいから…?よく聞く理由を挙げてみたが、私はどちらも違う気がする。もちろん、社会に貢献したくないわけではない。お金もあるに越したことはない。でもそれは自分が働くことに対する動機としては弱い気がするのだ。
仕事をせずとも社会に貢献できるとしたら。お金持ちの家に生まれていたら、大富豪と結婚したら。お金に困ることはないとしたら、自分は働きたいとは思わないのか。それは絶対にありえないだろう。そんな人生などつまらない。
そんなわけで、よくあるようなありきたりにも思える理由はなんだかしっくりこない。
経験したアルバイトの共通点は「この人の役に立ちたい」と思ったこと
そもそも、私は今までに「働く」という経験が少なすぎる。もっと色々なアルバイトをしていたら、長期のアルバイトをしていたら、働くことの意義を感じられたのかなぁ、なんて思ったりもする。
私が大学に入学してから今までに経験したアルバイトは2つ。児童館のスタッフとデパートの催事会場での販売。どちらも短期のアルバイトである。
なぜやってみようと思ったのか…。友達に誘われた、金欠だった、理由はそんなところだ。特に自ら動いた経験もなく、就活に使えるネタもない。
ただ、この2つのアルバイトの経験に共通して言えることがある。アルバイトをする中で、一緒に働く人に恵まれ、「この人の役に立ちたい!」と思う場面が何度もあった。それは一緒に働く人に対してだけではなく、児童館にやってくる子どもたちが、催事場に足を運んでくださるお客様が、私の行動によって笑顔になってくださる瞬間が、自分にとってのやりがいだった。
「私とも一緒に遊んで」
「お弁当の蓋が開かないの」
「どれがお勧めですか」
「これはどんなお味なんですか」
そういった言葉は、こんな私でも人の役に立つことができるのだと喜びと、私を必要としてくれる人がいるのだという安心感があった。
「働く」ということを通して自分の存在意義を確かめたい
私は自分の居場所を探して働くのかもしれない。誰かの役に立てたという喜びは仕事のやりがいになるだけではない。人の役に立つことで、自分の存在意義を感じることができる。私は「働く」ということを通して自分の存在意義を確かめたい。自分はなぜ生まれてきたのか。なぜ生きているのか。働くことで、その答えを見つけることができる気がする。だから、私は働きたい。
私の就活はまだ始まったばかりだが、誰かのために働くことで自分の存在意義を見つけたい、そんな思いを受け止めてくれる企業にご縁があることを願いながら、自分の居場所を求めて就職活動を続けていく。