私が今の会社で働きはじめて、次の春で5年目を迎えようとしている。
私は今の仕事が「好き」ではない。
それだけは間違いない。

転勤ありの総合職として入社後、配属になった初任地は、地元から遠く離れた未踏の地方都市だった。誰一人知り合いもいなかった。

女の子なのに転勤族なの?私の人生へのコンプレックスを植え付けた

「『女の子なのに』転勤族なの?大変だね」
前向きに参加していた地場の社交の場で、会ったばかりの男性によくそう声をかけられた。
「女の子なのに」。この言葉にはどういう意味があるのだろうか。この言葉をかけられた回数が重なっていく中で、私は自然と社交の場にも顔を出さなくなった。

初任地生活を必死で過ごしてやっと軌道に乗ってきた矢先、突然東京に異動になった。一切こちらの要望は反映されない。

東京で大学時代の女友達に会ったとき、
「Tsukushi、いつまでも転勤ばかりして会社に振り回されていたらダメだよ。Tsukushiの人生だよ、早く良い人見つけないと。私はね、同じ地元出身の大企業に勤める次男坊を捕まえたの!最高じゃない?」
と説教じみた謎の自慢を聞かされた。その時の気分がどんなに最悪だったかは表現できない。

転勤ばかりして結婚すら見えていない私がダメで、結婚という「一般的な幸せ」を手にしようとしている彼女自身が勝ちだという考え方と、将来の伴侶を紹介するときに真っ先に出てくる言葉が、人柄ではなく「一般的に良し」とされるスペックである違和感。

映画「ビリーブ 未来への大逆転」に、「女性が差別されるということは、男性も男性らしさに縛られている」というようなセリフがあったが、その通り、逆もまた然りと思う。

今の会社による融通の利かない「転勤」は、私の人生に、「女性にとっての良い人生」へのコンプレックスを根強く植え付けたと思う。
だから、私は今の仕事が「好き」ではない。

再び地方に異動になった。なんで私は私を犠牲にしてここにいるんだ?

半年後、さらに再び、希望していない地方都市に異動になった。
旦那の都合で東京に戻りたいと希望を出した女性の後釜だ。

さすがに自分でも、会社に人生を振り回されてると感じた。
また見知らぬ土地での生活が始まり、さらには仕事現場もぐちゃぐちゃだった。3人でやる仕事をほぼ1人で回した時期もあった。上司もパンクしていて、まともに会話も出来ない状態だった。

悪いことはなぜか重なる。必死で一つのプロジェクトを乗り切ったその夜。取引先からクレームの電話が入った。4年目にして初めて上席を呼ばれた。
忙しすぎて普段ならしないような雑な対応が怒りを招いた。

そもそも初対面の人と話すのが得意でない。緊張で、打ち合わせの前の晩は必ず微熱を出す。話が得意ではない。営業としてコンプレックスだらけの自分は、丁寧さと謙虚さだけが強みだと思っていた。
とうとう、その強みすら発揮できなくなった。
もう無理だと思った。頑張って働いても、コンプレックスが毎日どんどん膨らんで、自分のことを嫌いになるばかりだ。

だから私は今の仕事が「好き」ではない。
なんで私は私を犠牲にしてここにいるんだ?
なんで私はここでこんなに頑張ってるんだ?
どちらの質問にも答えられない。
今すぐ辞めよう。この4年間で何回思ったか数えられない。

初任地で辞めようと思ったのに。転勤がなければ出逢えなかった景色たち

初任地1年目の夏、なんで私はこんなところに住んでんだ、辞めてやろう、そう思っていた頃。
その土地で有名な花火大会に、家族を呼び寄せ、出かけた。
それは、人生で見た中で一番きれいな花火だった。
あとにもさきにもあれを超える景色はないと思うくらいに、文章なんかじゃ表現できないくらいに。

独身時代にニューヨークに1人旅をしたときの思い出話をするのが好きだった父。
私が転勤族になってからは、私の転勤先に遊びに来た時の話ばかりをするようになった。
私も家族も、私の転勤がなければ、この土地に来ることも、この景色を観ることもたぶんなかった。融通の利く転勤制度が存在していたとしたら、この土地を選ぶことは絶対になかった。

自分は人生をかけて旅をしている。
決まりきった「一般的な幸せ」を歩んでいれば、もしかしたら出逢うことがなかったたくさんの景色に出逢うために。だとしたら、今、その旅を辞めてしまうことは少しもったいないかもしれないと、私はその花火を見たときに思ってしまった。

なんで私はここで働いてんだ、もう辞めてやろう。そう思うときに限って、しばらく連絡を取っていなかった昔の取引先から、「元気でやってるか、頑張りすぎるなよ、肩の力抜いてな」と連絡が来る。
もう全く関わりがないのに、遠い土地で自分のことを気にかけてくれる取引先の人や元同僚・友人がいる。

営業向いてないや、上司に「辞めます」と宣言しよう。そう思うときに限って、避け続けられてると思ってた取引先と突然連絡がつながったりする。
私は営業なんて向いていないはずなのに、「私はTsukushiさんに勝手に親近感をもっているから、一緒に頑張りたい」。そんなことを言い出す。

取引先の本気の嬉し涙。これまでの苦労が一瞬で吹き飛んでしまった

自分の強みも発揮できなくなった1年だった、潮時だ、今度こそ辞めてやろう。ついこの前、そう思ったときに限って、取引先が会社で賞を取った。受賞を伝えたとき、取引先の担当の女性は涙を流して喜んだ。

自分の仕事で人が本気で嬉し涙を流してくれるときが来るなんて、思ってもみなかった。
「Tsukushiさん、来年も一緒にやってくれますよね?」
これまでの苦労、特に辛かった1年のすべてが一瞬で吹き飛んでしまい、ついに私は、「来年も一緒に頑張りましょう」と言ってしまった。

私は今の仕事が「好き」ではない。
今の仕事はたぶん向いてないし、今の場所に住む理由は何もないし、今すぐ辞めたいって思ってるし、今すぐ辞めれば最高だと思う。

でもたぶん、私は今の仕事が「嫌い」ではない。
今すぐ辞めたいって思ってるはずだし、今すぐ辞めても良いけど、なぜかまだ辞めてない。
本気で辞めたいと思ってるときに限って、物事が動く。
きっと何かがいたずらしてると思う。
そんなとき、いつも私は「なんでこんな時に限って、やりがいなんて生まれるんだよ」と心の中で怒り叫びながら、でもちょっと笑っていると思う。