毎年7月20日頃、テレビや街中で夏休みムードが漂い始めると、その時期の早さに驚く。毎年8月31日に、夏休み最終日というニュースを見かけると、その時期の遅さに驚く。
いつしか1週間の夏休みが当たり前の感覚になってしまった。そういえば、大人になるまでは夏休みも一大イベントだった。身近な大人たちがたった1週間しか休めないというのが信じられなかった。
1ヶ月以上の長期休暇のために用意された自由研究や絵日記、読書感想文……。普段とは違う、楽しいような面倒くさいような特別な宿題に追われながら、宿題をしなくていい自由な大人を羨んだりもしていた。

大人になって、何かを始めようとするのは想像以上にエネルギーが要る

システム会社に勤めている私は、昨年の4月に情報処理安全確保支援士という技術系の国家試験を受けた。参考書を読み込み過去問を解くという作業は、長らく使っていなかった脳みその筋肉を久々に動かすような感覚だった。
せっかくなので昔使った必勝鉛筆で過去問を解いてみたり、試験1週間前には湯島天神にも行ったりなんかして、さらにそこで合格まんじゅうなんて買っちゃったりもして。
淡々と消化試合のように過ごしていた日常の中で、目標を立てて学習するという行為は、疲れはするものの充実感があった。

大人になってから気づいたことだが、新しく何かを始めようとするのは想像以上にエネルギーを要する。
億劫に感じて先延ばしにしても、誰かに責められることはない。授業に置いていかれるようなこともなければ補習もない。同じ環境に身を置き続けている限り、知り合いが増えることもない。義務教育の9年間で運動も勉強も何もしないというのは環境がなかなかそれを許してはくれないけれども、ハタチを過ぎてからの9年間を惰性で生きるのは、やろうと思えば比較的可能なのだ。

そう考えると、過去の武勇伝を毎回語ってきたり、すぐに流行を否定したりする、若者に煙たがられる中高年の典型のような人だって、新しい経験をするためのある種の体力が落ちてしまっただけなのかもしれない。
子どもの頃は大人は勉強しなくていいと思っていたが、しっかりカリキュラムが用意され成長することを半ば強制されていた子ども時代は、今思うとある意味楽だった。

残酷なまでに速く過ぎていく月日の中、夢を見つけることができるのか

ここ10年、将来の夢を訊かれる機会はほとんどなくなった。幼少期の夢を実現できている人だって、世の中にはほとんどいないのだろう。
そのせいか、大人になっていくにつれ、「身の丈」なんて言葉で自分を納得させるようになる。夢を抱くということが素晴らしく輝かしいもののように言われて育ってきたのに、いつしか「いい歳して……」と呆れられるようになる。

今の私には、朝顔の観察日記を課してくる人も、逆上がりのコツを教えてくれる人もいない。課せられるものがないからこそ選択肢は無限にあるはずなのに、子どもの頃に待ち焦がれた夏休みのようなときめきは、もう待っているだけでは降ってこない。取り得る無数の選択肢に圧倒され、結局何もできずに虚無に終わった日々も数え切れないほどあった。
大人になった今、月日は残酷なまでに速く過ぎていく。果たしてこれから実現したいことを見つけることができるのだろうか。そして、それを成就させることができるのだろうか。このまま不安を飼い慣らして、物分りよく諦めるしかないのか。

夢や目標が身の丈に合わないのなら、届くように高くしていけばいい

世間を席巻しているメジャーリーガーやプロ棋士、五輪で熱い戦いを見せてくれたアスリート達も、気づけばほとんどが私より年下だ。彼らは常に今以上の自分を夢みて、挑戦を続けている。そして、若いながら間違いなく私よりも沢山の人や物事に触れ、想像できないような経験をしていることだろう。
一方で、私よりもずっと年上で、遅咲きのアーティストや歳を重ねるごとに魅力を増していく役者がいることも私は知っている。
人の偉大さや輝きというのは、きっと年齢に依存するものではないのだ。いくつであろうと性懲りもなくがむしゃらに走り続け、老若男女を魅了する彼らを見ていると、大人だとか子どもだとか、そんな概念がどれほどの価値を持つだろうかとも思える。

成人したら大人なのか、自分で稼げるようになったら大人なのか、家庭を持つことが大人なのか。真に大人と呼べるのはどのような在り方なのか、私も成人して社会的に「大人」という枠組みに入ってから既に9年が経つが、未だに判らずにいる。ただ、私が魅力的に感じる大人というのは、いつだって自ら立てた夢や目標に対して誠実で在り続けられる人だ。

夢や目標が身の丈に合わないのなら、妥協するのではなく、そこに届くように身の丈のほうを高くしていけばいい。時間もお金も自由に使える大人の今だからこそ、子どものように身の丈に合わない夢や目標に対してひたむきに動き続けられる人間で在りたいと思う。

先述した試験には無事合格した。金メダルや芥川賞と比べれば大したことのない実績ではあるけれども、これもまた成長の一歩だ。
夏休みがたったの1週間であろうとも、まだまだ可能性は無限大。まだ出会えていないもの、まだ実現できていないこと、これらは全て伸びしろなのだ。
一皮も二皮も剥けた10年後の私に乞うご期待である。