1年前、仕事なんて大嫌いだった。
毎日終電まで働いていても終わらないタスク。直属の先輩はもちろん、他の部署の方も当たり前のように残っていたので、どんなに疲れていても帰れる雰囲気ではなかった。

替えなんていくらでもいる。だったら私が存在する意味はない

できて当たり前、ひとつでもミスが見つかれば説教。感謝されたことなど一度もない。
平日はタスク量や先輩に怯えて過ごしていて、朝が来るのが怖かった。休日は、週明けのタスクが気になって、なかなか体が休まらなかった。大好きな映画を観ていても仕事のことが頭によぎってしまう。

この状況を打開するためには、仕事そのものを好きになるべきだったのかもしれない。
だが、「私でなくてもできてしまう」入力作業や確認作業に、自分がやる意味を見出せなくなってしまった。

仕事における1番の目標は「少しでも早く帰ること」。残業時間をできるだけ減らすため、休憩時間もロクに取らず、とにかく心を無にして作業を進めていった。気がつくと、24時間何も食べていなかった日もある。
いつまでこの生活が続くのだろう。考えただけで、絶望的だった。

「もう生きていくのしんどいな」と思うようになったとき、ふと我に返った。
なぜ自分が会社の犠牲にならなければならないのだろう。自分の人生を会社に台無しにされてたまるか。

それからはあっという間に退職手続きを済ませ、社会人2年目は無職から始まった。

社会人2年目、憧れていたライターという職業に就いたけれど…

さて、新しい仕事は何をしようか。
考えた結果、ずっと憧れを抱いていたライター業を始めてみることにした。
だが、ひとくちに「ライター業」といっても仕事内容はさまざまである。インタビュー、SEO記事、コラム、エッセイ……。
憧れのライターになれた、とはいえライティングであれば、どれも楽しいというわけではなかった。書いていて「しんどいな」と思う記事もある。

仕事をいくつか任せてもらうなかで、得意なジャンル(書いていてしんどいと感じない記事)、苦手なジャンルが分かるようになってきた。
今は、自分が書いていてしんどいと思わない、好きなジャンルを中心に書かせてもらっている。

どれも共通しているのが、取材記事やコラムなど「自分の色が見える」記事だ。
「〇〇についての記事を書いてください」という依頼があった場合、自分でない誰かが書くことは可能だと思う。だが、切り口は絶対に人によって変わるので、アウトプットも変わってくる。
自分が書くことで「自分にしか作れない」記事が生まれることが、とっても嬉しかった。

ライターになって1年。仕事が嫌いだった私はもういない

1年前はあれほど「仕事」という存在が嫌いだったのに、今は仕事を楽しめている自分がいる。
土日に仕事をしている人を見て、「土日まで仕事に費やすなんて、かわいそうだな」と思っていた側だったが、今は土日も自然にパソコンを立ち上げている。

「ライター」と名乗るようになってもうすぐ1年が経つ。
来年は何をしているのだろう。仕事を辞めたかったあの頃と同じように、今も将来の自分は想像できない。
だが、あの頃と決定的に違うのは少しワクワクしているということ。
どんな未来になるのかは予想できないが、文章の周りで生きていることは確かだ。