小学校の社会の時間に、国民の三大義務について習う。すなわち、教育、勤労、納税。
当時は、小学生ならお勉強をしていればいいのかな、とさほど深く考えなかった。それが今になって、勤労の義務が重くのしかかっている。
大人は働かねばならぬのだ。だって極端な話、誰も働かなかったら誰もが生活できなくなる。全てのもの、こと、サービスは誰かの勤労の上に成り立っている。我々は円滑に生活するために目の前の仕事をこなしているのだ。
明らかに無茶な量、いつまでも続く残業。ブラック会社で働いていた
3年ほど働いた会社はブラックだった。恨みつらみが掃いて捨てるほどある。
明らかに無茶な量の仕事。いつまでも続く残業。当然サービスなので、お給料は増えない。
一番理不尽で許せない仕打ちは、とても鮮明に覚えている。
私が妊娠していたときのことである。出産予定日の8週前に退職予定だったので、新しく採用された人に仕事の引き継ぎをしていた。
でも1ヶ月でその人は退職してしまった。この量は無理です、ということらしい。
そうですよね、今逃げたのは大正解です、と正直なところ思った。その人の英断と今後の幸せを一瞬祈ったが、反対に自分は進退窮まったと認識して心臓がきゅっとなった。
出産を後ろ倒しになんてできない。これから人を採用して、引き継ぎは間に合うだろうか。
そんな中、ベテランのパートさんが辞めることになった。週3回出勤する彼女は、パンクしている私の仕事をよく手伝ってくれた。とても長く働いていたから知識も深く、頼りになる。いつも朗らかな人で私の心の支え。彼女がいなくなると通常業務すら破綻することは明白だった。
パートさんの退職自体は半年前から決まっていたが、後任の採用が難航していた。面接の時点である程度ブラックとわかるくらいの会社だったので。そもそも応募が少ないし、辞退ばっかり。
そして恐れていた事態になる。
産休ぎりぎりでの退職までの3ヶ月間は、忘れられない地獄の期間
「どうしても人が採用できないので、一時的にパートさんの仕事もしてください」
その上司の指示により、私は破綻した通常業務に加え、パートさんの仕事も抱えることになった。物理的には大きなお腹も抱えている。
あの頃は早出も残業も、人一倍していた。妊婦検診でひっかかったり、体調を崩したりすることが一度もなかったのは、本当に奇跡に値する。
ぼろぼろになりながら毎日をやりすごし、どうにか採用に至った2人へ引き継ぎ、私も退職した。結局、私がひとりでしていた仕事は、正社員採用の2人だけでなく経理の人にも一部引き継いだ。上司にも少し戻した。
これだけのことをやって、手取り20万円を切りボーナス一桁万円。最終出勤日、22時、事務所にひとり。処理しなければならない紙があと4枚。ちょっとだけ泣いた。
パートさんがいなくなってから産休ぎりぎりでの退職までの、およそ3ヶ月。一生忘れられない地獄の期間だ。
私にとって仕事は、その物量と責任で自身を殺しにくるもの。在職中、10キロ痩せて精神科にお世話になった。
私生活で夫や友人が支えてくれたから。もともとは健康な身体だったから。周りに恵まれ運が良かったから、どうにかこの世に踏み留まることができたのだ。
働くことが義務だという。専業主婦の私は肩身が狭い
仕事をもはや敵とも思っているが、専業主婦をしている今、それでも働きたいと感じている。社会に何も貢献していない。生きるだけで肩身が狭い。卑屈に家で過ごしていると、ふとしたときに脳裏によぎる。
立派に働く壮年の男性教師が、社会の教科書を片手に言っていた。
大人になると義務が3つあります。子どもに教育を受けさせること、働くこと、税金を納めることです。
社会を支えていない私が、果たしてそこへ参加しても良いものなのか。
働くことは、社会に存在するための免罪符。でも私を殺しかけた敵。そんな深刻に考える必要はないけれど、過去が近くてまだちょっと難しい。