「誰のおかげで飯が食えると思ってんだ!」
DV男のセリフとしてコテコテに使い古されたこの言葉を、実際に聞いたことがある人はどのくらいいるのだろう。

私は聞いたことがある。私が小学生のころ、父が母に対して放った言葉だ。今はもう25歳だから、10年以上前のことである。歳を取って穏やかになった父は同じ言葉を口にはしないだろうけど、私は一生忘れない。
そして小学生の私は自分に誓った。「私は誰にも同じセリフを言わせない」と。

そのためには、とにもかくにも、いい高校、いい大学、そして安定した職を手に入れなければと思った。
それから新卒で正社員として就職するまで、一歩間違えれば谷底に叩きつけられる綱渡りのような気持ちで進路を選んできた。初任給の給与明細が、ぎりぎり一人暮らし可能な金額だったとき、やっと肩の力が抜けた。

結婚を前提とした同棲。「働かなくてもいいよ」と彼は無邪気に言った

にもかかわらず、私は新卒で入った正社員の仕事を辞めた。

自分の心身を守るために仕方がなかったとはいえ、自分が築き上げてきたレールを踏み外した気持ちになったことは否めない。そして、もう元のレールには戻れないだろう、と思っている。
退職後は、交際している男性の誘いで、結婚を前提とした同棲を始めることになった。あと1、2年後には彼の転勤の予定があるのに、だ。

彼の居住地で得られた仕事の業務形態は契約社員だった。
収入は半分ほどになった。決して一人で生活できるような額ではない。
私は、「結婚」というまがい物の安心に目がくらんで、小学生だった自分との誓いを破ったことを悟った。

私が仕事の不安を口にすると、彼は無邪気な顔で言う。「働かなくてもいいよ」と。
私も笑顔で返す。「ありがとう」と。
何もわかってないな、と思う。彼と私では見えている景色が180度違うのだ。

彼を笑顔で見送り、帰宅する彼を笑顔で迎える生活を私は望まない

彼の中では、私が退職するのが前提で、当然転勤にもついてきてくれると思っている。人生の中で何回あるかわからない彼の転勤のたびに、私の履歴書に記載する職歴欄が増えていくだろう。
また新たな人間関係を築き、全く勝手の違う仕事のやり方を覚えていく。歳を重ねながらそんなことができるのだろうか?

仕事を辞めて家に入るという選択肢は存在しない。私にとって仕事を失うことは、社会的なつながりも、金銭的な頼みの綱も、全て断ち切られるということだ。
家にこもって、家事や、もしかしたら育児もこなす日々。朝に出発する彼を笑顔で見送り、夜に帰宅する彼を笑顔で迎え入れる毎日。
私はその生活を望まない。その毎日に価値がないとは言わない。けれど、私には魅力的には映らない。

小学生の私が軽蔑した目で問いかけてくるのだ。
「いつか独りになるかもしれないのに?」
「相手の態度が変わらないって保証できるの?」 
わかっている。痛いほど。

今まで生きてきた女性たちも、キャリア選択に悩んできたのだろうか

父の言葉が頭をよぎる。一度好きになった相手だ。結婚まで考えるような仲だ。
彼にだけは「誰のおかげで飯が食えると思ってんだ!」なんて言葉は言われたくない。言わせたくない。
何回も何回も彼と話し合いをして出した同棲という選択なのに、どうしても自分の心の中で折り合いをつけられない。

30歳がじりじりと近づいてくる。
正社員になりたい。年収を上げたい。同じ会社で働き続けたい。年齢が上がるほど不利になることばかりだ。
今日が終わるたびに、焦燥感といら立ちで視界が回る。今まで生きてきた何万何億という女性たちも、同じようなキャリア選択に悩み、苦しんできたのだろうか。

もう19時だ。あと少しで彼が帰ってくる。今日も答えは出ない。さあ、自分の思考をいったん放棄して、笑顔で彼を迎え入れなければ。