「なんのために働いているの?」
これは3年くらい前に当時通院していた心療内科の先生に聞かれた言葉だ。その時の私は「税金を払うため」と答えた。
あれから3年が経つけれど、未だにこの言葉が頭から離れない。私は一体なんのために働いているのだろうと時々、ふと考える。

国民には「勤労の義務」「納税の義務」がある。いつまでも子供でいたかった

小学生の頃だったか忘れたけれど、社会の時間に日本国憲法について勉強をした時、日本国民には「勤労の義務」と「納税の義務」というものがあると先生が言った。
そして、君たち子供はまだ働いていないし、税金も払っていないけど、その分親御さんが頑張って働いてくれていて、君たちの税金も親御さんが払ってくれているのだよ、と。だから、大人になったら君たちはお父さんやお母さんのように頑張って働かなきゃいけないよ、と言われた。

その時、子供心に私たちは生きるだけでお金がかかるのかと、虚しいような悲しいような諦めのような、なんとも言えない気持ちになった。生きているだけでお金がかかること、それは私の中に深く刻まれて私を洗脳するようになった。
日本国民なのだから働かなければならない。日本国民なのだから税金を払わなければならない。私はいつか働かなければならない、そんなの嫌だなと思った。いつまでも子供のままでいたいと。

大人になるにつれて、働きたくないという思いは少しずつ薄れていった。なぜなら、お金があればあるほど自由が増えることに気づいたから。

自分で稼いだお金は最高のツール。経済を回すために稼ぎ、使った

子供の頃はお小遣いをもらってやりくりするのが普通で、身の回りの衣食住は親のお金で何とかしていたから、この洋服が欲しいとか、テレビに出ていたあのお菓子が食べたいとかあったとしても、親のお金に頼らなければ手に入らない。
けれど、自分で働いて手にしたお金なら自由に使うことができた。
買いたい服を買い、食べたいケーキを買い、上品なレストランのディナーが食べられる。親に払ってもらっていた頃はいつも申し訳ない気持ちでいっぱいだった私にとって、自分で稼いで手にしたお金は私を楽しませてくれる最高のツールになった。

いつしかお金を稼ぐことが私の楽しみだった。いや、他にも楽しみはあったのだけれど、稼げることが大切になった。
そのために残業もたくさんして、当時は同年代の社員よりはもらっていたと思う。その分、たくさん使った。旅行もたくさんしたし、飲みにも行った。稼いだ分だけ税金も年金も保険も払った。
経済をまわすためには私が稼いで、そのお金を使うことだと信じて疑わなかった。稼いだお金を貯めずにどんどん使い、後先なんか考えていなかった。
アリのようにバリバリ働き、キリギリスのように今が楽しければいいさと開き直って生きていた。まさにアリとキリギリスの両刀使い状態だった。

そんなにがんばる必要がある?いまはのんびりと働く

世の中には野心家タイプとそうじゃないタイプがいると思う。
野心家タイプはどんどんお金を稼いでバリバリ働いて……みたいな昭和の熱血サラリーマンみたいな人たち。そうじゃないタイプはのんびり最低限の賃金で楽しく暮らしていく人たち。

私は実は後者で、しかも、飽きやすいタイプだからいつのまにかバリバリ働くのが嫌になった。
ある時ふと、そもそもそんなにがんばる必要あるのか?みたいに考えてしまった。それ以来、私はのんびり働いている。

お金は必要だけれど、生きていける分あればいい。多少楽しみに使える分あればいい。お金がある分、人生の選択が自由にできればそれだけでいい、と思う。