二十八歳の誕生日を迎えた。世間は私を三十路と呼ぶ。
「女の旬は二十五歳まで。女はクリスマスケーキ、それ以降は閉店セール」
なんて言われていた歳はとっくに過ぎて、七年目を迎えたパートナーと今日も穏やかな日々を送っている。
きっと彼なりに考えていることはあるのだろうと思う。けれど
収入は私の方が多い。正社員として働いている私は、全国転勤がある。いつどこへ行くのかは、会社の意向次第だ。転勤を断れば、それはキャリアの終了を意味する。休学を含めて約七年間大学で学んだ私にとって、それは人生の終了と同じだ。ここで出世し、キャリアを積まなければ、私の人生に意味はない。
共に暮らす彼はフリーターだ。夢を追っているわけでもなく、ただ焦っていないわけでもなく、日々悩みながら過ごしているようだ。この厳しい情勢の中でできる限りの賃金を稼ぎ、家賃の半分を私へ納めてくれている。きっと彼なりに考えていることはあるのだろうと思う。しかし、その考えは共有されることがない。聞いてはならないタブーという暗黙のルールがあるが、一番はっきりとさせておかなければならない議題だということは理解している。それを聞く勇気が、今の私にはないのだ。
七年かけて情を育んだ。結婚を考えるとき、私の心はいつも打ち沈む
働くことと結婚すること、世間様はその選択を迫っている。だとすれば、私が選ぶべきは仕事だ。そうでなければ、同棲しているこの家も、電気も、水道も、ガスも、食事でさえも、失うことになってしまう。では彼に働いてもらえばいいじゃないか、と正論の私は言うが、齢三十を過ぎた男の就職先は限られるか、至極門戸が狭い。それに、彼が正社員になったとしても、転勤族の私が仕事を辞めるか出世コースを外れない限り、同棲を続けていくことも難しい。そしてそれをすれば私のキャリアはその時点で終了し、仕事を人生の主とする人々と共に生きていくことはできない。それがどれほど悔しいか、想像には難くない。
それなら別れればいいじゃないか、とこれまた正論の私が言うが、男女の間柄というのはそう簡単に切り裂けるものではないし、何より七年かけて育ててしまった情がある。さらに言えば私には、彼に返しきれないほどの恩がある。これまでの人生で一番悩み、迷い、底にいた時期に寄り添ってくれたのだ。食べるものも住むところも、カウンセリングの役目すら請け負ってくれた彼がいなければ、今こうして働いていることはできなかっただろう。私たちの関係性はかけがえのないものであることは明白なのに、結婚を考えるとき、私の心はいつも打ち沈むのだ。進めども進めどもぬかるみに足をとられるような、沼の中を歩く気持ち。どちらかを選ばなくてはならない、何かを捨てなくてはならないという社会通念が、私には脅迫に聞こえてならない。
きっとこの気持ちは、この先の人生で私について回るのだろうと思う。結婚、子供、出産、復職、子育て、介護、老後。何一つ保証された人生はなく、心のどこかでは生涯をたった一人で過ごす覚悟をしなくてはならないだろうと、腹を括って正座している自分がいる。私にとって、結婚は幸せと結びついていない。それはきっと、年中不仲の両親を見てきたからかもしれないし、家庭に入ることのリスクを知っているからかもしれない。もしくは、今の相手が結婚したいと思えるような人ではないから、と助言してくれる人もいるだろう。そのどれもが正しいし、否定はできない。
二人で生きて、二人だけの選択肢を作るところから始めたいのだ
私はこのもやもやを、この泥沼の気持ちを、否定したくはない。この気持ちが彼への愛おしさを引き立て、働く気力を与えてくれる。本当は、何を取り、何を捨てるべきかなんて選ぶものではないだろう。それでも強制的に選択肢を目の前に出され、その先に延びる未来までが見えている人生をあえて選びたくないと思ってしまう。私は天邪鬼だ。この状況で、将来のわからないまま、だけど二人で生きていく。二人だけの選択肢を作るところから始めていきたいのだ。それは多分、愛おしさを感じる人としかできないだろうし、私が何を選んだとしても、それを肯定してくれる相手でないと上手くいかないだろう。とどのつまり、私はすべてが欲しいわがまま女なのだ。世界一、結婚に向かないわがまま女だ。捨てる潔さもなければ、進む勇気もない。臆病でわがままで、つける薬もありはしない。
私は八年目を彼と過ごすだろう。現状を心配する友人もいる。変わらないものなどないが、急速に変わりゆく世の中で変わらないものを保ち続けたいとあがくのは、不老不死の薬を求める気持ちと同じなのだろう。変わるには、時間もお金もかかる。手痛い思いをすることにもなるだろう。だが、足を取られている泥沼に沈みながら抜けるような青空を仰ぎ見ることは、存外悪いことではないのかもしれない。そしてまた少しずつ歩き出せばいい。理想に追いつくのは、もう少し先の未来だとしても。