遠距離をしていた日本に住む彼に会いたくて、就職先は日本に決定

英国には、芸術とデザインの分野では世界トップの大学院がある。ここでは世界でも屈指のデザイナーが講師として迎え入れられ、世界のデザイン大学の中でもトップクラスの教育環境が準備されていて、卒業する学生は全員、エリートとして将来を有望視される。
大半の卒業生は有名なデザイン事務所に入り、業界で有名になるか、大手企業に入り高給取りになるかの2つに1つの道筋が用意されている。
私は「その」大学院の卒業生だ。そして、そのどちらの道も選ばなかった台湾人だ。

というものの、卒業したては私も将来に期待して、周りの卒業生と同じく職を探していた。
一応、台湾に戻って来て会社を探したが、IT産業が中心の台湾にはデザイン事務所が少なく、しっくりくる仕事がなかった。

なので、他の国にも視野を広げたが、今は結婚して夫となったが、当時は彼氏彼女の関係だった彼と、2年もの遠距離恋愛を頑張っていたこともあり、内心彼に会いたさで一番行きたかった日本を選ぶことにした。

もちろん当時の私は、日本語なんて全くできない、でもデザイナーはチャレンジャーなのだ。意気込みはあったのだが、ここで問題に気づいた。どうやって日本で仕事を見つければいいのか?

紹介してくれた父の友人の言葉は、有難くも「何かが違う」気がした

そんなことに悩んでいる時、突然父親が日本の企業に詳しい人事会社の友人を紹介してくれて、会うことになった。人事の業界で何十年もにいる方なので、もしかしたら、私が学んだことを活かせてワクワクするような日本の会社と繋いでもらえるかも、という期待を抱きつつ、話を聞いてみた。

「君に一番良いのは、福利厚生が良く、給料の高い大手会社だ。3年くらい経験してから、別の会社に転職、どんどん給料が伸びるぞ!」
「興味が合う会社がない?まあ、大手に入ったら、様々の経験ができ、その中ではきっと自分のやりたいことがあるじゃないか?今それを考えてもしょうがない」
「英語もできるので、中国やシンガポールもありだ!何、日本の会社?日本語のレベルN1(ほぼネイティブレベルの日本語力)がないと入れないよ!君は日本語が全然できないよね、日本会社の台湾支社に入ってみて、将来転勤する方が現実的だ」

言ってくれたことはすごくわかるし、一緒に考えてくれて本当にありがたい気持ちもあった。だが、自分の内側からふつふつと「何かが違う」気がしてきた。

自分が毎日給料と福利厚生のために働くイメージが湧いていなかったのか?
会社の歯車として、興味のない目標のために頑張りつづけることに抱えている違和感?
彼氏と一緒にいられない、最終的に別れるかもという焦り?

いろいろ考えた結果、「無職の私が、何か要求する権利でもあるの?とりあえず、お金が入ればどうでもいいじゃない!」という現実的な私が登場し、感じた違和感を飲み込んだ。

興味優位と王道優位の葛藤も、たまたま参加したツアーで良い出会いが

その後、外資の大手会社で面接する機会もいただいた。
仕事の内容を紹介してくれた時、聞いてはいたが、心が全然響かなかった。「仕事があったら、お金が入ってくるよ!」と思いながら、なるべくその仕事に対して、私の強みを売り込んでいた。

ただ、芝居が下手すぎで、あまり盛り上がらなかった。数日後、予想通り「不合格」のメールが来たが、なぜか全然落ち込んでいなかった。
このような経験を通して、自分の「興味のあることしかしない」という気持ちが本当に強いということがわかった。だけど、「無職」という事実は未だ変わらずなのだ。毎日仕事を探しながら、心の中で「興味優位」の自分と「王道優位」の自分がディベートをしている。

転機ができたのは、それから半年後だった。
ある日本の「デザインの仕組み」を学ぶ旅行ツアーを見つけ、参加することにした。ツアーの初日、あるデザイン事務所が見学を行っていた。
そこで、たまたまそのデザイン会社の社長に声をかけられ、久しぶりに話が通じる人とデザインについて語り合うことができ、本当にワクワクした。

帰国する飛行機の中で、あるアイデアを思いついた。私に欠けているのは言語だが、一年間の時間をさえ貰えば、仕事ができる程度の日本語を身に付けるかもしれない。
台湾に帰ってから、すぐ社長さんにメッセージを送った。それは、一年後正社員を目指し、日本語を勉強しながらインターンから仕事を始めさせてもらうという提案だった。
突然の無茶な提案でもあるが、うまく行った。そこから瞬く間に私の人生は進展した。
帰国して2週間後に面接。4週間後に日本で就職。1年2ヶ月間後に正社員。

私が本当に望むことを信じて道を切り開いたから、人生は充実した

最初の1年間、日本語の勉強と仕事を両立するのは本当に大変で、お給料も生活がギリギリできる程度しかなかった。正社員になっても、言語と環境の壁が強く、キャリアを伸ばすまで相当時間がかかった。
有名大学院を卒業したにもかかわらず、結局その恩恵を使わず、私が本当に望むことを信じて道を切り開いていくと、大変だったけど人生はなんとかなるし、やっぱり充実するものだと自信を持って言える。

今の私は、別の事に興味を見出し、会社員の生活をやめたが、当時、自分の心に従って、最後まで「自分の興味があることをしかやらない」という点を妥協しなかった自分に感謝する。
その時もし、自分の考えを押さえ込み、言われた通りに頑張っていたとすると、自分の力を信じなくなるでしょう。