祖母と2年ぶりの再会。認知症が進行し、何度も同じ質問を繰り返した

先日、名古屋に住む祖母に日帰りで会いに行った。コロナが流行り始めて以降、お盆やお正月に祖母に会いに行かなくなったので、2年ぶりの再会だった。
祖母は4年ほど前から認知症を患っているが、会わない間にその症状は更に進行していた。自分の衣服や食べる物に対しても、認知症が要因で無頓着になっていて、以前と比べて顔が丸くなり、お腹も出ていた。
「えいみちゃんは今何年生?どこの学校に通っているの?」と1日で10回以上質問された。
私は、質問を煩わしそうに扱わないよう、何度も答えを丁寧に返した。
祖母は自分が認知症であることを自覚しており、伯母に「その質問さっきもしてたがね」と指摘されるたびに、しょんぼりとしていた。そして、「私は産業廃棄物で、社会の何の役にも立たんね。廃人だね」と自虐していた。
私が横浜の実家に帰った後、母親が伯母から電話をもらった。祖母はその晩、私がその日遊びに来たことはもちろん既に忘れており、私の母親が結婚しているかどうかを伯母に質問していたそうだ。

私の知らぬ間に認知症を患っていた祖母を初めて見たときは、動揺した

5年ほど前までは、私の習い事の発表会や、高校の文化祭に来てくれていたし、私の誕生日は毎年祝ってくれた。手先が器用な祖母は、料理や裁縫が得意で、私が名古屋に遊びに行くと、料理を作ってくれたり、手作りの洋服をプレゼントしてくれた。
名古屋と横浜の距離は、新幹線で2時間もかからずに移動できるくらいで、会いに行こうとさえ思えば、すぐに会いに行ける距離だったが、年に2、3回会うのが恒例だった。
だから、私の知らぬ間に認知症を患っていた祖母を初めて見たときは、動揺した。同じ質問ばかりされることが奇妙で、「さっきも言ったじゃん」と、私は嫌そうに返事をしていた。

急に変わってしまった祖母を見た4年前の夜は、半べそをかきながら新幹線に乗って帰ったが、先日会った際は、祖母が認知症を患っていると理解していたので、以前と違いショックや驚きはなかった。
しかし、80年以上積み重ねてきた人生をどんどん忘れていく祖母を見て、ひどく落ち込んだ。このままどんどん認知症が進行したら、いつか祖母が死ぬ間際に、彼女自身の人生を思い返して死ねるだろうか。どんどん衰えていく姿に、彼女の命がもうすぐ終わりを迎えようとしているのだと感じる。

もし、小さい頃の私と以前の祖母にもう一度戻っても、同じように彼女は認知症になり、私はその姿に落ち込むだけだろう。だから、やり直したいとは思わない。祖母は先日、「頭の中がゴチャゴチャになっていて、何が何だかわからないのよ」とも言っていた。そうなってしまった彼女を受け入れて、彼女の人生が終わる時まで、私はできる限り会いに行きたいと思う。まあそれは、私のエゴだが。

自分の祖母には生きていてほしいのに、一方で社会の動きには反発する

ちなみに、普段の私は高齢化社会に文句を垂れていて、特にコロナ禍では、なぜ若者が我慢を強いられなければならないのだろうとずっと憤っていた。
高齢者はすでに7、80年生きたのに、まだ生きたいのかと本気で怒っていた。カフェで駄弁る高齢者を見るたびに、苛ついていた。“緊急事態”なんだから、罹りたくないならおとなしく家に篭っておいてくれと。私の大学生活を返してくれと。
選挙でも、仕事で忙しい若者が投票に行かず、高齢者が投票する傾向があることで、元々の人口分布でも高齢者の方が圧倒的に多いのに、政治では高齢者寄りの政策ばかりがとられる。自分の人生、こんな日本に捧げて良いのか、なんて思う時もある。

私は自分の祖母には生きていてほしいのに、一方で社会の動きに対しては反発している。
私は、祖母を大事にしたいし、自分を含めた若者の生活もできる限り、元に戻してより良くしたい。今の私が一番欲しいものは多分これかもしれない。
このどちらも叶えるのは難しい。片方を切り捨てなければいけないと思う。
ただ望みは、願ったり祈ったりするだけでは意味がないから、私は行動して両方を叶えたい。せめて、自分の周りだけでも。