おばあちゃん。ごめんね。

祖母は今から10年ほど前、認知症を発症した。
祖母の家は実家から歩いて数分というほど近くだったため、私が中学生の頃は毎日よく遊びに行っていたが、高校生になると気恥ずかしさからか、休日にしか会わなくなった。
両親が共働きだったため、平日は祖母が家事をしによく家に来てくれていた。

ある日、私はテスト休みで家にいた。
するとまだ軽度の認知症だった祖母がいつも通り家事をしに来てくれていたが、一人になりたかったので追い返してしまった。
あのときのことが今でも悔やまれる。なんであんなことしたのだろう。
『いつもありがとう。何か手伝うよ。』
なぜそう言えなかったのか。

ずっとごめんなさいが言えなかった。
本当にごめんなさい。

認知症が進んでいく祖母。その現実を直視できなくなった

後悔したまま月日は流れ、祖母の認知症はどんどん進行していた。
その頃はまだ私の名前も母の名前も覚えてくれていた。
でもまさか、この数年後にさよならする日が来るなんて。

私が社会人になり、祖母は施設に入った。最初のうちは休日欠かさず面会に行った。
祖母も喜んでくれていた。

だが、次第に母も私も面会に行く頻度が減っていった。
祖母の認知症が進行していくのを近くで見るのが辛かったから。それは母も同じで、母にとっては血の繋がった親だから一番それを感じていたのかもしれない。

私はギリギリまで現実から目を背けていた。祖母は祖母で寂しかったと思う。
あのとき、もっと面会に行っていればよかった。
おばあちゃん。本当にごめんなさい。

入院して寝たきりになった祖母。容態は悪化していった

そして、祖母は入院することになった。入院当初は軽い熱だから、すぐに施設に戻れる予定だった。祖母が入院してから母はほとんど毎日、私も休日は一緒に御見舞いに行った。
初めは会話もできた。
なのに……数週間後にはいつ行っても寝た状態。挙げ句の果てに、『ご飯を食べてもすぐに口から出すんです!なんとかしてください。』とすごい剣幕で看護師さんに言われた。

その言い方、何?と切れそうになった気持ちを堪え、やはり看護をしてくださっているので何も言えない。言ったところで何もしてくれなくなるんじゃないかと母と言っていた。
だが、父とも相談し、転院させたほうが良いのではないかという結論に至った。

入院して明らかに容態がわるくなっていて、誤嚥性肺炎を引き起こしていることも分かった。口の中も見たことのないくらい真っ黒で、酷い床ずれも起きていた。
早く転院させてもらえるよう医師と相談し、ようやく転院できた。
そして、転院先で床ずれについて看護師さんにびっくりした様子で聞かれた。
『こんなになるまでどうして……。口の中も清潔にしないと肺炎は治らないから、きれいにしようね。』と祖母に言ってくれていた。

転院先の病院でこの3日が山だと言われ、頭の中が真っ白になったが、祖母はそれから約一ヶ月もった。医師からも『容態も安定してきたので、このままでもってくれると思います。』という言葉ももらえて安心していた。
それから数日後、容態が急変した。
父と弟がちょうど入れ替わりのために来てくれたので、一旦家に帰った直後だった。
危険だと言われ、再び急いで病院へ。

目の前で亡くなった祖母。出た言葉は「ごめんなさい」だった

自分で運転している車の中で、早くついてほしい気持ちと、永遠につかないでほしい気持ちが入り混じって、泣きそうになりながら必死に病院へ向かった。

到着すると、まだもってくれていたが、すでに心臓マッサージをしていた。
数分後、モニターから心臓が止まる音がした。
ドラマで見るような光景だ。

私は中々言葉が出なかったが、ありがとうよりも先にごめんなさいという言葉が出た。
後悔のごめんなさいだ。
あのときちゃんと謝っていれば、もっと会いに行っていれば。
そんな後悔ばかりが押し寄せた。
元気なうちに謝れたら、こんな後悔せずに済んだかもしれない。

身近にいる人だからこそ、大切にしなければならないのに。
身近にいる人だからこそ、ごめんなさいや、ありがとうが言えない。

でも本当は身近にいる人だからこそ、日頃からしっかりと気持ちは伝えないといけないと思う。
おばあちゃん、あのときは本当にごめんなさい。