夢だった教員の仕事。でも年々熱意は失われている

「好きを仕事にできていますか」
そう問われると、今の私は「はい、できています」とは言い切れない。

初めは両親に憧れ「教員になる!」と心に決め、その夢を叶えるために勉強をした。そして教育学部のある大学に入学し、教員免許を取得した。
夢だった教員になれて嬉しかったし、やりがいもあった。しかし、度重なるパワハラにセクハラ、身体を壊し心身ともにボロボロになった。それからは年々仕事に対する熱意は失われていっている。

でも、時々かけられる、子どもたちの私に向けた言葉に迷いが生じる。
「全部わか先生がいい!」
「わか先生はなんで担任しないの?」
「わか先生、大好きぃ」
私はそんな言葉を思い出すたびにやめることを躊躇する。

正直心身ともに、しんどい仕事ではある。メンタルが鋼のような人か、どんな罵声をあびせられても受け流すことができるような人か、はたまたもう教員で一生やっていくんだ!っと確固たる決意を持っている人くらいしか、教員という仕事は続けられないと思う。
私自身、10年以上前から教員になろうと決めていて、実際ぶれることなく教員になった。でも1年で学校は退職することになった。再び非常勤講師として教育現場で仕事を続けてはいるものの、周りからいい風にはあまり思われていない。非正規雇用で安定もしていない。だから、これもいつまで続けるのか正直わからない。
このまま続けるにしても、また身体を壊す可能性だって十分に考えられる。辞めたくない気持ちもある一方で、この仕事に絞ってやり続けることは困難に感じていた。

後付けじゃなく、好きな芸術を仕事にする選択肢を

そして、今年。
「好きを仕事にする」という新しい選択肢を取り入れることにした。

私は子どもの頃、音楽や美術、書道など芸術的なことが好きだった。でも、芸術的なことでは仕事にならない。就ける仕事なんてほとんどないし、お金にもならないと言われていた。
それに、好きなことを仕事にしてしまうと、好きなことが義務化してしまうので、仕事にしたら嫌いになってしまうんではないかと思い、私の好きな芸術関係については、仕事と切り離して考えるようになっていた。

しかし、今の仕事でモヤモヤしてしまう出来事の多さ。
そんな時、好きを仕事にしなかったとして、嫌いなものなら仕事になるのか?普通を仕事にしたら満足できるのか?と考えた。
仕事はこれから生きていく中で必要なことだ。でも、嫌いを仕事にするなら、人生そのものに負荷がかかる。普通を仕事にしたとしても、満足いく結果が期待できるとは考えにくい。
では、いっそ好きだと思えることを取り入れた仕事をした方が人生豊かになるんではないかと思えた。

だから、私は今の非常勤講師の仕事を続けながら、好きな芸術を取り入れた仕事ができるように勉強を始めた。
仕事が好きとか嫌いとか後付けするのではなく、初めから好きだったことを仕事にできるように考えればよかったのだと気づいた。

きっと平坦じゃない道。でも人生を豊かにできる

芸術では食っていけない。やりたいことだけやっても生活できない。そんな考えは古いと思う。今は世の中に発信できるツールが数多く存在する。
芸術だけ、やりたいことだけでは、確かに生活は難しいのかもしれない。でも、だからといってそれを諦める理由にならない。
自分の好きとやりたいことを貫き融合したら、それはきっと仕事としても成立していくと思う。私はそれを信じている。

好きなことを仕事にして、仕事もプライベートも全部ステキなものにしよう!
その道はきっと平坦ではないけれど、今のままでいいのか、好きじゃないことを続けていくよりも、きっと人生を豊かにできると思う。

私は今、その新しい一歩を踏み出した。
人生は選択の連続。正解や不正解だけで成り立つものではない。たくさんの経験を積んで、自分の生きやすい道を模索していけばいい。
好きを仕事にしよう。好きを仕事に再出発しよう。
これから胸を張って、「好きを仕事にしています」と笑顔で言えるようになるように。