社会人1年目。私は、仕事でつまづいたり、迷ったりした時に、思い出す季節がある。
それは就活に勤しんだ高校3年生の秋のこと。
私は高校生の時、ずっと進路に迷っていた。けれど白紙で提出した進路シートには目が当てられず、半ばヤケクソで就職先を探していた。学校の先生に地元のハローワークに行くようにと言われ、重たい脚に鞭を打って自転車を漕いだ。
そんな日が、秋だった。
ハローワークのおばちゃんに完全KO。帰り道、涙が止まらなかった
私の担当だと言うおばちゃんは、気が強そうだと思った。とても直感的に。
「どんなお仕事がしたいの?」と、キーボードからヘンテコなタイプ音を鳴らしながら聞いてくる。
「正直、わかりません」
どうせ知らんおばちゃんなんだから、今日は嘘はつかないと勝手に決めていた。
「わからないで、仕事探しにきたの?なにがしたい?なにがすき?どんなものに憧れる?」
呼吸も忘れるほど質問してくるおばちゃんに、なんだか圧倒されて、うーん、とか、あ〜、とか、そうですね〜、みたいな事しか言えなくなった私は、完全に相槌の機械だ。
「さっきも言ったけど、わからないで仕事探しにきたの?あなた、もう学生じゃいらんないのよ」
カンカンカンカン!もうKOだ。試合終了のゴングが聞こえる。丸腰でハローワークに足を運んだ私は、ボッコボコだった。
おばちゃんが見繕ってくれた求人票を手に、イチョウの木の下でまた泣いた
気がついたら私はポロポロと涙を流していて、止められないご様子だった。
私が相槌の機械になっている間に、おばちゃんは適当な求人を印刷しておいてくれていたらしく、私は涙を拭きながらその紙を受け取って、1番近くのエレベーターに飛び乗った。一緒にエレベーターに乗ったおっちゃんが、心配そうに、なにか言いたげにこちらをみていたけど、そんなことどうでもよかった。
自分がなっさけないと思いながらも、もうちょっと優しい言葉を掛けてくれたっていいじゃんって、おばちゃんの掛けていた赤いふちの眼鏡を浮かべては泣いた。
エレベーターを降りて建物を出ると、イチョウの木が風を使って葉を落としていた。歩道一面、こんなにもイチョウの葉ばかりだったのに、私は憂鬱さに気を取られて、気が付かなかったみたい。頭に落ちてきたイチョウの葉を取って、また泣いた。
今ならわかる。おばちゃんが自身と仕事の関係性をしっかりと守っていたこと
今思えば、あの赤ふち眼鏡のおばちゃんも、意地悪であんなことを言ったわけではないって、はっきりとわかる。
あのおばちゃんは、ちゃんと私に仕事として向き合ってくれていた。
だっておばちゃんの仕事は、傷心の高校生を慰めることでも、泣いた高校生に優しい言葉をかけることでもないのだから。おばちゃんは、自身と仕事の関係性をしっかりと守っていると、今ならわかる。
なんやかんやあって無事就職して、社会人としての秋が訪れた時、イチョウの木をみると泣いてしまいそうになる自分がいた。それはもう条件反射とも言えるかもしれない。
けれど大丈夫。一面に広がるイチョウの葉を綺麗だと感じられる秋が、私には訪れると。
17歳の泣いた私に、言ってやりたい。
仕事と私の関係は、季節を感じさせてくれる、とても大事な「かたえ」だ。