カレンダーを見ていた。デスクの横に貼ってある2つのカレンダー。
1つは今月のもの。もう1つは年間カレンダー。手に取って毎日見ては、「選べるなら選ぶよね」と言い続けた。
結局、私は去りゆく身。初めましてから始めて、人の名前と物の位置から覚えるの。丁寧に教えてもらった仕事をやっと一人でこなせるようになった頃、バスが迎えにやって来る。
寂しいんだよ、これが。砂の城を作っているような気がしてさ。こういうときってどういうモチベーションで仕事すればいいんだっけ?
この身がここにありながら、ここではないどこかを目指す。そんな毎日
給食センターで働きだしたのは昨年からで、その前は社員食堂に勤めていた。転職したのは訳があったからだけど、それを語るつもりはない。
臨時の栄養士として繋いだ助け舟。私は社会人3年目を迎えていた。
「来年はどうするんだろう。どこで何をしているのだろう」
ベッドに入ったときと、目覚めたときと、カレンダーを見つめたときに思う。思わない日はない。呆れるほど、自問自答の日々だった。
この身がここにありながら、ここではないどこかを目指していく。すんなり動ければいいけれど、そんなに単純なものではない。
繰り返される毎日に違和感をもたず、これが普通と思える人が羨ましかった。職場にいる多くの人は、明日も明後日もひょっとしたら10年後もこの場所で同じことを繰り返すために働いているように見えた。
私は真逆だった。今日でも明日でも明後日でも。そして1年後にはここにいないように仕事をする。なんだか虚しかった。
こんな気持ちを誰に打ち明けられただろう。「来年はどうするの?」と3ヶ月に1回くらい聞かれる母親からの言葉も、そのうち嫌気が刺さらなくなった。
来年はどこで何をしている?考えてみた仕事軸はどれも違っていた
そもそも栄養士になったのは、食べることも作ることも好き、というそれだけの理由だった。というのは嘘で、本当は他にも理由やきっかけは多々あるのだと思う。ただ言葉にするのは少々ややこしいのでそれだけということにする。
大学4年生のとき、仕事なんて、給料と休日があればなんでもいいと思っていた。だが、1年経ち、私にとっての仕事軸はそれではないことを知った。
今度は、一緒に働く人と気が合えば仕事はなんでもいいと思った。だが、1年経ちそれも違うと知った。
どこへ行っても何をしても、全てが思い通りに行くわけなんてない。私は一本のまっすぐな信念が欲しかった。それがあればどんなことがあっても多少の困難は乗り越えていけると思った。
予想もしない嵐の風に打ち勝てるのは、どんなに良い条件でもなく、自分のポリシーや強い憧れなのだと思う。そういう信念が私には必要で、だからこの道を行くという裏づけが私には大切だったとようやく気がついた。
私は誰よりも自分自身を信じているから、新天地で挑戦をすると決めた
向いてないと自覚している栄養士を続ける訳は、給料が良いからでも、休みが多いからでもなくて、まだやり残していることがあるから。
きっと私は誰よりも自分自身を信じている。なんで栄養士になったのか。誰を救いたかったのか。その答えはちゃんとある。
説明できるほど明確にならない気持ちを抱いたまま、私は椅子から立ち上がる。
職場の荷物を少しずつ持ち帰ろうとロッカーを開けたら、3枚のTシャツと5足の靴下が出てきた。濡れた時の着替え用として入れておいたものだった。狭いロッカーのくせにこんなに入っていたのが意外だった。
春から新天地へと向かい、ずっとやってみたかったことに挑戦するつもりだ。
再び初めましてからの始まりになるのは分かりきっている。果たして、私は私のままでどこまでいけるだろう。
ふと立ち止まった帰り道。雨上がりの空の下で、まだ濡れている階段を登っていた。