それは好きなことは仕事にしないというもの。
決して好きを仕事にしている方々を否定するわけではない。
好きなことはたくさん。どれも仕事にできそうだけど、しなかった
私はどちらかというと多趣味で好きなことを仕事にする道もあった。
本が好きだから、本屋さんで働く、司書を目指すこともできた。
野球が好きだから、売り子として働く、チアを目指すこともできた。
テーマパークが好きだから、キャストとして働く、運営会社への就職を目指すこともできた。
旅行が好きだから、旅番組や雑誌の制作に関わる仕事、旅行会社への就職を目指すこともできた。
だが、そうはしなかった。
なぜなら、私の好きなこと、趣味は全部消費者であることが前提だったからだ。
もちろん好きなことや趣味を仕事にすることも選択肢の一つだと思う。
就職活動初期は、少しでも興味のある会社の説明会には参加した。
それぞれ好きなことの裏側をほんの少しだけ知ることができてうれしかったし、そこで実際働く先輩社員の方の話も聞けたのは貴重な経験だった。
そう思ったもののそこで働きたいとは思わなかった。
仕事は給料を得る手段として、自分は何だと納得できるのか考えてみた
働くということは必ずしも楽しいだけではない。
どんな仕事に就いたとしても必ずつらい時期はやってくるものだと思う。
もしも好きなことを仕事にして、ものすごく辛いことがあったら、私はそのことを変わらず好きでいられるだろうか。
本を、野球を、パークを、旅行を好きだったことを嫌いになってしまうのが怖かったのだ。
それほど私は働くということをマイナスなイメージで捉えていた。
では何を仕事にするのか。
何をしてお給料を貰ったときに、自分は納得できるのかを考えた。
仕事を自分の好きなこと、やりたいこととしてではなく、給料を得る手段として割り切って考えたのだ。
実在する物を売るよりサービスを提供すること、人にとってマイナスな状況下においても、たくさんの人に寄り添うサービスであることを軸に考えた。
実在する物であると押し売り感が強くなってしまうと感じ、私の好きなことは楽しいことが前提なことばかりで、そうでない時にも人の役に立つ、そういうときこそ助けになることを仕事にしたいと思ったのだ。
無理に好きを仕事にしなかったら、趣味も仕事も好きなままでいられた
そうして、金融関係の事務の仕事に就き、現在も続けている。
時には仕事で嫌なこと、辛いこともあるが、基本的に楽しいと感じている。
自分の仕事により微力ではあるが、多くの人の生活に重要なサービスに関わっていることが実感できているからだ。
もちろん変わらず趣味も楽しんでいる。
好きなことを仕事にしていなくても、私生活も仕事も充実し楽しく過ごすことができる。
仕事で嫌なことがあったときは思いっきり趣味を楽しむことができるし、逆にプライベートで嫌なことがあったときは、仕事に打ち込むことでストレス解消することもできる。
無理に好きなことを仕事にしなかったことで、どちらも好きで居続けることができているのだ。
好きなこと、やりたいことが見つからず悩んでいる人がいたとしたら、何をしてお給料をもらうときに納得できるのかという視点で考えてみてはどうか。
働き方についても多様性が認められるこの時代で、より多くの人が楽しく働くことができることを願っている。