私が生まれてからの10年、「子育て」が生きがいだった完璧なママ

私が幼いときから完璧なママ。冷凍食品を使わない手料理、幼児時代に着用した衣類を絵にして記録をし、体の弱い私のアレルギー源をとことん調べ尽くした。
棚いっぱいに収納された「かなちゃん新聞」を見ると、年々写真の数が、写真写りを嫌がった時期を物語り、大人になった私が少し申し訳なくなってしまう。
ママにとって私が生まれてからの10年は、「かなちゃんの子育て」が生きがいの人生だっただろう。

「かなちゃん」
「かなちゃん、だんご三兄弟歌って」
「かなちゃん、ピースして」
「かなちゃん、いい顔して~」
ママの身の回りは「かなちゃん」でいっぱいだった。素直なかなちゃんは、どんなリクエストにも応えていた。よく歌い、笑い、夜泣きもしない、良い子だったとママは言う。
だから、当時のかなちゃんは、ママの素顔を見ることは、ほぼなかった。

目の前でお母さんがタバコを吸った日、完璧は崩れ、肩の荷が下りた

成長して私は、学校の先生からは「優しい子だね、素直な子ですね」と褒められた。
でも家に帰り、好きなことにばかり目が行き宿題をせず、嫌なものは嫌と素直に言うと、言うことをきかない子だねと叱られるようになった。
お母さんが不機嫌になってしまうことを恐れて偽りの表情をつくるが、感情を抑えきれず喧嘩も絶えなくなった。
そしてお母さんは不機嫌になるとと、何も言わず自分の部屋に鍵をかけて閉じこもる習慣ができた。
最初は急にリビングからいなくなるお母さんを見て、気持ち悪い習慣だと思ったが、次第に自分の部屋に向かうお母さんに慣れていった。次の日の朝にはけろっとした顔で、台所に立っている。

私は一緒にいることが辛くなった矢先、目の前でお母さんがタバコを一本吸いだした。
今までは見えないところで呼吸を整えていた母親が、ついに目の前で完璧を崩した。
悲しみよりも「悪い人になったのかも」と怯えたが、それと同時に「あぁ、お母さんも人間なんだ」と肩の荷が下りた瞬間だったし、一番身近だった人が、気を許してくれた気分だった。
タバコをしまうと、また部屋に閉じこもった。部屋に閉じこもる日常が戻ってきた安心感を強く覚えている。
それからは、タバコを吸う母親を見たことがない。
素直の加減を考えさせられた出来事であった。

完璧で、理想の親子関係は無くても、母親と良い距離感を保てている

今では、母親と良い距離感を保てている。
関西と東北でそれぞれ暮らし始めて8年。
当時の理想を描いた姿はないが、今でも母親は「かなえ新聞」を作成していると言う。
写真も記事にする出来事は昔に比べて激減。今はどの年代のかなえをどんな新聞記事にしているのだろう。
私から尋ねることはない。
尋ねることが引き金となって、変に口が回ってしまい、新聞が無くなってしまうのがこわい。

実家に帰ることは少ないが、この距離感が私達にとって丁度よいという認識がお互いにあり、週1回の電話は欠かせない。「元気でいれば、それでいいね」がお互いの口癖だ。
あの当時の完璧で、理想の親子関係は一切なくなっている。
けれども、良い距離感と適度な素直さをもつことが、私達の親子関係には何よりも大切なものになっていた。

26歳の私は、今後色んな節目を迎えていくのだろう。
同じ屋根の下で過ごす方々とは、上手に付き合いたい。
どんな大人であろうと、人間らしくいていい。
お母さんの素顔が、そう思わせてくれた。