今年で27になる私ですが、もしかしたらこのままずっと独身のままかもしれない、と最近感じています。

選択的夫婦別姓の実現はどうやらまだまだ遠い未来ですし、なにしろ私はいろいろなことに対するこだわりがいくぶん人よりも強いようで、それが生きやすいかどうかはまた別として、自分の心にどこまでも正直に生きていく方が性に合っている気がするからです。

後悔することのないように、お父さんに伝えたいことをここに書きます

今まで幾つかの恋愛を経験してきましたが、他人と近い距離で暮らしていると、どうやら私は自分よりもその人のことを優先してしまうようなのです。そうすると、私は自分が本当にやりたいことが、わからなくなってしまいます。

私は、もっと自分ファーストで生きていきたい。こうして字面で見ていると、なんともドライな人間であるように聞こえますが、私がそんな冷血な娘でないことは、お父さん、わかってくれているでしょう? 私はただ、いつでも自分の心の声にしっかりと耳を澄ませて生きたいだけなのです。

そんなわけで、私には、結婚式でのお手紙披露の機会がないかもしれません。まあ、あんな御涙頂戴のパフォーマンス、万が一結婚式を挙げるようなことがあったとしても、しないとは思いますが。

だから、今日、いつか後悔することのないように、お父さんに伝えたいことをここに書きます。後でがっかりさせないために先に言っておきますが、私が書こうとしているのは涙を誘う感謝状ではありません。私が今から書くのは、ずっと赦せずにいる、お父さんに深く傷つけられた思い出についてです。前置きが長くなりました。

私がご飯を作っていたけど、なんで「おいしい」も言わず新聞読むの?

私が15歳の時にお母さんが病気で亡くなって、それまで3人家族だった私たちは、急に2人きりになってしまいました。あれからもう11年も、お父さんと私で、2人で暮らしてきましたね。

ありきたりの言葉になってしまいますが、本当に、いろいろなことがありました。私はなぜだか、物心ついた時から、母のことは「ママ」、父のことは「お父さん」と呼んでいました。母はお母さんと、かしこまって呼ぶにはちょっと愉快すぎる人で、反対に父は、パパという軽い響きの名前で呼ぶには、畏れ多い雰囲気を持っていたからでしょうか。

私たちの前からいなくなるまで、夜ご飯を作るのはいつもママの仕事でしたから、私は、ママが亡くなってから、なぜか女である自分が、ママの仕事をしなければならないと思い、毎日高校から帰ってくると、夜ご飯の支度をしていました。

ママがしていたように、なるべく色とりどりのおかずが食卓に並ぶように。温かいおかずはお父さんの帰ってくる時間に出来上がるように。

でも、お父さんはなかなか帰ってきませんでした。いつもお父さんが帰ってくる頃には、温かいおかずが冷めてしまっていました。そして何より悲しいことに、お父さんは帰ってくると「ありがとう」とも、「おいしい」とも言うことなしに、ママがいた頃と同じように黙々と、新聞を読みながら私の作ったご飯を食べて、食べ終わるとすぐに居間でぐうぐう寝てしまうのでした。このことが、私は本当に、本当に、悲しかったのです。

なんでお父さんは、私がここにいるのに新聞を読まないといけないのだろう? 私は拒絶されているの? 私の話を、私の話というだけで、興味を持って聞いてくれる人はもうこの世に誰もいないんだ。

あの頃は、毎晩戸惑いと悲しみ、怒りの感情が、私の心の中を渦巻いていました。でも、お父さんの前では泣くことができなくて、いつもお風呂で泣いていました。次の日、目が腫れぼったくなってしまうとわかっていながらも、時々、寝る前にも泣きました。でも次の日、明らかに泣き腫らした顔で起きてきた私を見ても、お父さんは何も言わなかった。

ねえねえ、ママ見てるんでしょ? ちょっとお父さんになんか言ってよ。「新聞読むのやめて」って、夢の中でもいいから、言っといてよ。毎日、私がそう言ってママにお願いしていたこと、お父さんは知らないでしょう? 私は本当に悲しかったんだよ。辛かったんだよ。ママがいなくなってからも、お父さんが2人きりの食卓で新聞を読み続けていたことを、私はずっと赦せませんでした。

私は傷ついていたことで、父のこれまでの愛情が見えづらくなっていた

でも、最近になってようやくわかってきました。お父さんも、お父さんである前に、一人の男の人であることを。私もこれまで幾つかの恋愛を経験して、何人かの男性とお付き合いする中で、男の人が、いかに女の人とは感じ方や考え方が違うのかということを学びました。

もちろん親子と恋人は同じではないですし、一括りに男の人はみんなこう、というつもりはありません。でも、基本的に彼らは、一緒にいて会話がなくても気にしない。あまり細かい気遣いをしない。こちらがして欲しいことは、言わないと伝わらない。自分の考えていることを表に出さない。人が側にいようと、自分のやりたいようにやる。

15歳の時に、こういったことを知ることができていたらどれだけ楽だったでしょう。でも、10年もかかってしまいました。10年前、お父さんが、私を傷つけようとして新聞を読んでいたわけではなかったこと。ただ単に、新聞を読む時間が夕食の時しかなかったから、読んでいただけにすぎないこと。

そして、そうだとしても、やっぱり、もう少し娘の私に対して気遣いができたのではないかということ。実はこれまでは、お父さんも妻に先立たれて大変だったんだから、私が悲しい思いをしても仕方のないことだと思うようにしてきました。

でも、やっぱりそうではないと思います。お父さんのしたことで、私はたしかに深く傷つきました。でも、そう認められたから、もう赦します。

お父さんはお父さんなりに、たくさん私のことを心配して、愛情を注いで、見守ってきてくれたんだよね。でも、心が傷ついていたことで、私にはこれまでその愛情が見えづらくなっていたようにも思います。

でも、もう赦そうと思えたから、これからはもっと素直に甘えて、愛情を受け取って生きていくね。いつもありがとう。これからもよろしく。そして、もう食卓で新聞を読むのはやめてくださいね。娘より。