一人っ子長女ということもあって、母とはまるで姉妹のようだとよく言われる。私自身の顔つきは父似だと思うが、目元や声は母にそっくりだ。とりわけ、声は電話口で父や祖母が間違えるほど。私が大学進学と共に上京し、一人暮らしを始めてからも、ちょくちょく長電話をしたり、こちらに母が遊びにきたりと、よい距離感を保っている。私は母がだいすきだ。

幼いながら、触れてはいけない気がした

そんな母のことで、私は一つだけ、心に引っかかっていることがある。たばこについてだ。
今は禁煙に成功している父(肺がんを患い、禁煙せざるを得なくなった)は、かつてヘビースモーカーだった。1日に2箱以上は当たり前、数時間たばこを吸えない環境にいると、それはそれは機嫌が悪くなり、私も母も、父に近づくことが憚られるほどだ。

だから、母はたばこを毛嫌いしていた。
父には必ず換気扇の下でたばこを吸うようきつく言っていたし、家族で遠出をしようものなら、新幹線は喫煙車と禁煙車で席を分けた。幼い私は、父のたばこの香りに巻かれて育ったので、たばこが嫌いという意識はなかった。新幹線で喫煙車にひとりで座る父のことをかわいそうだと思いながらも、母に話を合わせておいたほうが丸く収まることを知っていたから、素直に禁煙車に座った。

たぶん、私が10歳にはなっていないころのことだったと思う。
両親は働いていたので、私は鍵っ子だった。いつものように学校から帰り、玄関の鍵を挿し、ドアを開ける。家にひとりだということが分かっているから、ただいまとは言わない。ずいぶんとのどが渇いていた気がしたので、玄関で靴を脱ぎ散らかし、そのままキッチンへとつながる廊下を走り、勢いよくドアを開けた。

いないはずの母がそこにはいた。キッチンコンロの換気扇下。いつもそこでにこやかに料理をしているはずの、その場所に。
随分と焦った様子で、何かを片付ける母。換気扇が吸いとりきれなかったその香りで、私は「たばこだ」と察した。

「……あれ、仕事は?」
「……あ、ああ、今日ちょっと早く終わっちゃって。おかえり、早かったのね」

幼いながら、触れてはいけないことのような気がした。
焦った母を無視して、私は冷蔵庫から麦茶を取り出し飲んだ。極力コンロのほうには近づかないよう、気をつけて。

数時間後。自分の部屋で宿題をしていると、母は私をキッチンに呼び出した。
小さなお菓子の缶を開けて見せた母。そこには、白と黒のパッケージのたばこと100円ショップで買えるようなライターが入っていた。

「ママの友達が忘れていったものなの。ここにしまっておくのだけれど、パパには絶対言わないでね」

そのときには、うん、わかった。と答えるしかなかった。
何か母のいけない部分を知ってしまった気がして、胸がばくばくとうるさかった。

15年たっても忘れられない、あの日の母の姿

それ以降、あの缶について触れることはなかった。その缶は、コンロ下の戸棚にしまっておいたはずなのだが、数年後、私が戸棚をこっそりと確認すると、その缶はもうそこには見当たらなかった。

よくよく考えると、母は決して友人が多いほうではない。母の友人を家に呼んだことなど、年に1回あるかないかくらいなのだ。それも、女友達か、ママ友くらいのこと。たばこを吸う母の友人は、今のところ私には思い当たらない。

あの日、やけに片付いていたリビング。今思い返せば、明らかに男物としか思えない強めのたばこ。そして、脱衣所の洗面台で手を洗った時、不自然に濡れていたバスマット。

これ以上は何も言わないでおきたい。
きっと、母は、このことなんてとっくに忘れている。もしくは、私が覚えているはずはないと思っている。

だが、私は15年以上たった今も覚えているのだ。あの日、涙ぐんだ目であわててたばこを片づけた母の姿を。

ずっと苦しかったこの気持ちを、ここに吐き出せてよかった。
きっと、機械音痴な母はこの記事を一生読むことはないだろう。
ごめんねママ、安心して。ちゃんと墓場まで持っていくよ。