昨年の11月に、大好きな祖母が亡くなった。
残された私たち家族にとって、とてもショッキングな出来事だった。
悲しんでいる暇もなく、母は毎日のように手続きに追われ、私は引っ越しや退職、転職準備で慌ただしい日々を過ごしていた。

一段落したのは表向きだけ。私たち家族の時間は止まったまま

最近、やっと一段落した。
やつれていた母がやっと、普通に食事を摂ることができ、たくさん笑うようになった。
私も転職し、前職よりも精神的に安定した毎日を送れている。
でも、前に進めているように見えるのは表向きだけ。
私たち家族の時間は止まったまま。
祖母が生前使っていたものはそのままにしてある。
納骨もまだできないでいる。
母は「1人いないだけでこんなに寂しいなんてね」と言いながら、時折暗い表情を見せる。
祖母の存在はとても大きく、実の娘である母はかなりショックを受けていた。

私の前では明るく振る舞っているが、まだ立ち直れているはずがない。
私はそんな母を心配し、時間を作っては帰省している。
実家に着き、「だだいま」と言いながら玄関のドアを開けると、祖母が出迎えてくれるのではないかと思ってしまう。
祖母の「おかえり」が聞きたくて、足早に廊下を進む。
居間を覗けば、座椅子に座って新聞を読む祖母がいるような気がしてしまう。
祖母がまだ生きているのではと期待してしまう。

祖母を思い出しては目に涙を浮かべ、夢で会い目覚めると泣いている私

しかし、そんな思いも虚しく、仏壇にある祖母の写真と骨壺を見て「ああ、もういないんだ」と現実に引き戻される。
休みの日に一人で、家でゆっくりしているときですら、ふと祖母を思い出しては目に涙を浮かべる。

以前、別のエッセイで「前を向いて生きていく」と決意したものの、やはり祖母のことが忘れられない。
そのせいか、毎日ではないものの、祖母がよく夢枕に立つようになった。
優しく微笑みかけながら、私の方を見ている祖母。
「元気かい?」「今日は何してるん?」と、笑顔で話しかけてくれる。
祖母の問いかけに応えようと、口を開こうとするがなぜかできない。
夢の中で私はいつも、終始何も言えずに黙ったまま。

せっかく私に会いに来てくれたのにと、すごく残念な気持ちになる。
祖母はやはり、もうこの世にはいない。
夢の中でしか会うことができないのに、そこでも話すことができない。
目が覚めると泣いてしまっている自分がいる。

私にはもう少し前に進むための時間が必要なのかもしれない

もし、本当にもう一度祖母と会うことができるなら、話したいことがたくさんある。
ちょっとした世間話。祖母と交流のあった人たちのこと。それから、家族みんなの近況。
もっともっと、ここには書ききれないくらい、祖母と話したくてたまらない。
「みちるちゃんがウェディングドレスを着ているところを見たいな」
「ひ孫を見るまでは死ねないから、もっと長生きしなきゃね」
生前、目を輝かせながらそう言っていた祖母。
願いを叶えてあげられなかったことも謝りたい。

「来世でもまた孫になってほしい」
祖母が残した手紙でこの一文を読んだとき、私もそうであってほしいと心の底から思った。
「私もまた、おばあちゃんの孫に生まれたいよ」と笑顔で直接伝えたかった。
一度亡くなってしまった人に会うというのは、現実的に不可能なこと。
それが分かっていても、会いたいと思ってしまう。

やはり、私にはもう少し前に進むための時間が必要なのかもしれない。
エッセイを書きながら、また祖母を思い出して泣いてしまう。
忘れる必要はない。時々思い出して悲しい気持ちになってもいい。
現世ではお別れしてしまったけれど、来世できっとまた会える。
何十年後、何百年後も先になるかもしれない。
それでも、また笑顔で話せる日が来ることを信じて、今を悔いなく生きたい。