コロナ禍に入って早2年。両親と会う機会はなく、小包でやり取りを

冷凍庫から取り出した肉の塊を、冷蔵庫に移して解凍されるのを待つ。数日前、私の両親がクール宅急便で送ってくれたお肉だ。
今日の夕ご飯は夫とワンコと3人、おうちでささやかな焼肉パーティーをしよう。

コロナ禍になって2年以上。
新幹線の距離にある私の実家には、未だに一度も帰れていない。
実家の家族が最後に集まったのは、たぶん私の結婚式のために呼び寄せた東京のホテルの一室だ。それだって支度や何やでバタバタした中、全然ゆっくり過ごせなかった。
まさかその後、こんなに長く会えなくなるなんて。

だからこの2年間は、LINEに加えて小包みのやり取りをする機会が増えた。それぞれの誕生日や季節の挨拶に加えて、テレビで見つけた美味しそうな食材を送ったり、懐かしいお菓子を送ってもらったり。
先日お肉が届いた際は、段ボール箱を開けて思わず笑ってしまった。
子供の頃、家族で買い物に行った近所の肉屋さんのピンク色の紙包み、そのままの状態で箱詰めされていたからだ。

実家の食卓の風景を思い出した。焼き肉パーティが好きだった

テーブルと床の上に、捨てずに取っておいた地域の広報新聞を敷いて、その上に食器棚の上の方から引っ張り出したホットプレートを置く。
サンチュの葉っぱを洗いながら思い出したのは、子どもの頃の実家の食卓の風景だった。

実家では、新聞紙を床とテーブルに広げるのは私と弟の仕事だった。弟と競い合うようにお肉を頬張ったこと、力仕事をしていた父が家族の誰よりもたくさん食べていたこと。切りたてのレモンの酸っぱい味。母の笑顔。
お肉を家族の誰かと交互に焼きながら、学校のこと、友達のこと、好きなアニメのこと、家族に何でも話していたあの頃。時々自宅で行う焼肉パーティーが、たまらなく楽しくて、嬉しかったあの頃。
弟も私もとうの昔に成人して、いまはみんなバラバラに暮している。それぞれの場所で、それぞれの役割をこなしながら。

一番恋しいのは、あの焼き肉パーティ。両親と弟とまた食卓につきたい

せっかくだから、ちょっと美味しいタレにしようよ。炊き立てもいいけれど、ご飯は少し蒸らして。ワンコには味付け前のささみを少しだけお裾分け。
こないだ買っておいたちょっとお高いビールは、半分こね。グラスはどこにいった?これから焼こうよ、いいやこちらから、なんて、夫とヤイヤイ言いながら準備をしてみたものの、あの頃のようには全然お肉が体に入っていかず、自分の胃袋の変化に愕然としてしまった。

焼き上がったお肉にゲンナリしている私を見て、3歳年上で同じく箸の進みの遅かった夫が「明日の朝ごはん、楽しみだね!」ともたれているであろう胃の辺りをさすりながら、にっこりと笑って言った。

いま一番恋しいものは、永遠に手に入らない。それは誰にも触れられない私の思い出の中の出来事だから。
願わくば、両親と弟と、また一緒に食卓につけますように。でも夫と一緒ならば、きっとそれさえも超える明日が待っているはずだと、私は信じているのだ。
だって、おうち焼肉の翌朝の焼肉丼なんて、一体全体どんな味がするのか、私はまだ味わったことがないのだから。