全くもって暇だったけど、部員全員で出かける誘いをやんわり断った

私は高校時代、女子の多い部活に属していた。
そしてある日、部活のみんなで、某テーマパークに行こうという話になったのだ。
話はかなり盛り上がっていた。部員たちとの仲はそれなりによかった。当時は感染症もなかったので、大人数でも堂々と遊びに出かけられた。でも私はこの誘いに乗らなかった。外せない予定があるからごめんと、また誘ってねとやんわり断った。

本当は外せない予定があるどころか、全くもって暇だったが、単純に面倒くさかったのだ。
女子が2、3人ならまだしも、10人以上もいると、さすがにこちらもテンションを上げざるを得ない。しかも平日に毎日会っているのに、休日まで部活仲間で集まるのはごめんだった。
断ったら仲間外れにされるかもとか、そういう懸念は不思議なほど全くなかった。
今思えば、誘いを断ったくらいで関係に支障が出るわけがないと、部員たちを信頼していたのだと思う。

川へ出かけて、感受性を解放。テーマパークのことなど微塵も頭にない

仲間たちが某テーマパークへと出かけた日、私は一人で大きな川へと出かけた。
海まで続いている川の土手を深呼吸して歩きながら、道端に生えている草花や木、水の流れ、鳥のさえずりに心をゆだねていた。キラキラした電飾が彩るテーマパークとは程遠い場所だったが、とても落ち着いていて、無になれる時間だった。

太陽に照らされて、キラキラと光る水面をじっと見つめているだけで、どこか解放されたような気分になれた。そして、水の流れと同じように、人生もまたゆるやかに流れていくんだな……とか、詩的なことを思い浮かべたりしていた。
ほかにも雑草を眺めては、たくましく生きる姿に感動したり、泳ぐ鯉を見ては、その優雅さに見とれたりしていた。
どこかのカヤック部が息を合わせてオールを漕いでいるのを見たり、土手を走り回る犬を見たりしているだけで、あっという間に時間が過ぎた。テーマパークのことなどもう微塵も頭になかった。

有り余った感受性を、誰にも邪魔されず自然に対して解放できる時間というのは、とても貴重なものだった。
たっぷりと深呼吸をして、また川沿いを歩きながら家に帰ると、どこか頭がすっきりとしたような気がした。一人でなければ実現できない、静かで緩やかな時間だった。

集団が嫌いなわけではない、ただ一人になりたい時は誰もがあると思う

次の日、テーマパークへ行った部員たちから、お土産にチョコクランチをもらった。普通においしかった。
楽しげな写真も見せてもらったが、うらやましいとか、やっぱり行きたかったという気持ちは少しも湧かなかった。私も私なりに充実した時間を過ごせたので、純粋によかったねと言えた。

集団でいることが特別嫌いなわけではない。テンションが高い人がすごく苦手なわけでも、テーマパークに興味がないわけでもない。ただなんとなく、今は一人になりたいという時が誰だってあると思う。そういう時は心の赴くままに、自分なりの充実した時間を求めて行動すればよいと思う。
特に今のご時世、「おひとりさま」は珍しくもなんともなく、むしろ推奨されるほどになっている。これを期に私も少し行動範囲を広げて、さらに一人での楽しみ方を見つけていきたい。