祖父の歩んできた道は、疑いたくなるほど魅力的だった

私はおじいちゃんと喋ったことがない。
祖父は物心ついた時には声がなかった。そして10年前、この世を去った。

私の知っている祖父は寡黙な人だった。
「喉頭摘出してるんだから、そりゃそうだろ」って思う人も多いかもしれない。しかし、私は仕事で、何人も喉頭摘出した患者を見てきた。舌打ちをしたり、手を叩いたりして呼ぶ人、いっぱい筆談をして会話してくれる人、電気喉頭という機械で話す人や食道発声で話す人もいる。その気になれば、人は声がなくても十分にコミュニケーションが取れる。
しかし、祖父がそのように話す姿を私は覚えていない。

祖父の経歴は謎に満ちており、今更だが惹かれるものがあった。
祖父はその昔、演奏家だったらしい。楽器はオーボエ。オーケストラで吹いていたらしい。
子供の頃、祖母からよく聞いた祖父の話は……。
祖父は独学で音楽を学び、軍の音楽隊のようなものに所属していた。
その後ベルリン・オーストリア・スイスなどヨーロッパに渡り音楽活動をしていた。
帰国後は大阪の交響楽団に所属していた。
しかし突然音楽をやめて、山奥で川魚の養殖を始めた……。
そして私の母が生まれたのは川魚の養殖が始まってからのこと。これらを唯一知る祖母も、祖父が他界した6年後の同じ日にその後を追い、亡き人となった。

事実を証明する物はあまりなく、ちょっと疑いたくなるような経歴。
父が楽器を吹いている写真も楽器もあるし、山奥には生け簀が残っている。おそらく演奏家だったのは事実だろう。演奏家をやめてからのことは母が知っているが、それまでのことは謎に満ちたまま。

演奏家人生や移住後の生活は、祖父にとってどんなものだったんだろう

祖父が亡くなった後、1本のVHSを見みた。祖父が山奥に移住してしばらくした頃、その地域の高校吹奏楽部の定期演奏会で、オーボエを吹いている映像。曲名は『G線上のアリア』。
それは祖父の最期の演奏だったそう。

私自身も、吹奏楽部くらいの楽器経験はあるし、オーケストラのコンサートなども聴きにいくことがあった。当時、非常に興味をもってそのVHSを見た記憶がある。
しかし、それを聴いた時、正直「上手だ」とは感じなかった……。
それよりも、その演奏には惹きつけられるものがあった。祖父の奏でるオーボエの音色には、震える声で歌うような儚さと、そっと語りかけるような優しさを感じた。

祖父は一見、やりたいことを全うして人生を終えたように見える。しかし、実際のところはどうだったのだろう。
演奏家人生は祖父にとってどのような人生だったのか。田舎にきてからは多額の借金も背負い、決して裕福ではなかった。そんな祖父は幸せだったのか。

今の世界に固執しなくてもいいのかも…。祖父を知る中で考えたこと

そして今、私は自分のやりたいことをしているんだろうか。

看護師として働き4年が経つが、私がしたいことは本当に看護なのか?
自分の仕事やその環境、いろんなことにモヤモヤする日々が続き、最近、自問自答を繰り返していた。
「本当に私がしたいことは何?」と。

祖父の人生を追い詰めていく中で気づいたこと。それは、私も今の仕事に固執しなくたっていいのかもしれないということ。わたしは今、転職活動を始めようと一歩踏み出している最中だ。看護以外の道を捨てて歩いてきた私に、今更こんなことができるのか。不安で、怖くて、このままここで働いたほうが楽に生きられるんじゃないかと思うときもある。けど、自分に嘘はつきたくない、とも思う。

きっと祖父は自分に正直な人だったんだろうなと、勝手に想像してみる。
子供の頃、祖父は寡黙で、あまりコミュニケーションを取らなかった。今は、それをすごく後悔している。
なぜ今になってこんなに祖父に惹かれるのか。いや、きっと今だから惹かれるんだ。
亡き祖父が、今、私の背中をそっと押してくれているような気がする。

おじいちゃん。もし今、会えるなら聞きたい。
音楽は楽しかった?どうして違う世界に飛び込もうと思った?それでおじいちゃんは幸せだった?
そして、それは私にもできる?

祖父はなんと答えるだろう。喋ったことがない私には、想像もつかない。