大好きだった会社を辞めた。
上司や周りの人たちからは、「休職でもいいんじゃない?」「別の部署への異動という方法もあるよ」と言ってもらった。
そうしても、よかったのかもしれない。
私のことを考えてそう言ってくれていることも伝わっていたし、安定した収入、確実に積み上げてきたキャリア、周囲からの信頼。
それらを“捨てて”新しい道を選ぶのは、あと半年で30歳を迎える私にとってリスクになることも分かっている。
だけど、大好きだった会社を辞めた。

厳しい納期。終わりの見えない仕事量。私の心は壊れてしまった

3カ月半程前、私はとても追い込まれていた。
新しい部署で、信頼している大好きな上司、新卒の時からお世話になっている大好きな先輩、学生時代から知っている気の知れた後輩、そして社内で賞を取った時、私のスピーチを聞いて「感動しました。実は今、仕事がうまくいかずに悩んでいて。私もあなたのようになりたい」と一度も会ったことのない私にメールをくれた、熱い後輩。
そんなメンバーでの新しい仕事。わくわくが止まらず、異動の話をもらった時には、二つ返事で「いきます!わくわくします!」と答えた。

それなのに、このありさま。
厳しい納期に終わりの見えない量の仕事、新しいやり方での仕事にうまくアジャストできず、不満を漏らすメンバーとのやり取り、こだわりたいのに時間が足りないという、もやもや。どう動くのが正解なのかがわからず、私以上に忙しい上司に相談する時間も気力もなく、とうとう私の心は壊れた。

「死にたい」と泣く私を見て、結婚してまだ2カ月のパートナーはとても悲しそうな顔をしていた。その顔を見て、余計に死にたくなった。
そして、6年間の社会人生活で初めて、長いお休みをもらった。

心がざわざわする日は、お風呂に浸かって不安をお湯に溶かしていく

あれだけ欲しかった時間のはずなのに、いざ手に入ると、どう使っていいのかわからない。
何もしなくても、時間は過ぎていく。
映画でも見ようと思いアプリの中を探っていた時、気になるものがあった。
「最高の人生の見つけ方」。その映画を見る一人の時間を、私はお風呂で過ごすことに決めた。
キャンドルを焚いて、お気に入りのバスソルトをお湯に溶かす。
映画の中では、余命半年となった二人の老人が、死ぬまでにやりたいことを記した「棺桶リスト」をもとに、次々とリストを消していく……。
映画を見終わって、キャンドルの火をぼーっと眺めながら、“死ぬまでにやりたいこと”について考えた。すぐに、いくつかの“わくわくすること”が頭に浮かんだ。

・お花屋さんで働いてみたい
・おいしいコーヒーの淹れ方をマスターする
・オーロラを見に行く
・年末をニューヨークで過ごす
・キャンバスに絵を描く
・自分の言葉で、人に感動を与える
・おじいちゃんのお墓参りに行く
・アロマを学んでみたい
・パートナーと、何もせずに星を見ながら語り合う
・大切な人たちに年賀状を出す

そんな具合だ。書き始めると止まらなくて、ペンを止めるまでに50個以上は書けたと思う。
小さなことから大きなことまで、私の中にはまだこんなに“わくわく”があったんだ、と思うと、“死にたい”と思う時間さえも、もったいない気がした。

それから、私は「なんか、心がざわざわするな」と思うと、一人でお風呂にこもるようになった。もやもやも、ざわざわも、お湯に溶けてしまえばいい。
そんなことを考えて過ごしていると、お風呂を出るころには何となく体が軽くなっている気がする。

大好きな会社を辞めた。わくわくする方向へ進んでいくために

そして私は、大好きだった会社を辞めた。
わくわくできることを、今、やっておかないと後悔する気がしたからだ。
わくわくがあるのに、やらずに後悔するのは自分らしくない。

そういう私を見て、周りの人たちはみんな「あなたらしいね」と言ってくれた。「わくわくできることがあって、羨ましい」という人もいた。
何が正解なのかはわからないけど、“わくわくすること”を選び続ける私に、そんな言葉をかけてくれる人たちがたくさんいるのだから、少なくとも今までの自分の生き方は、間違ってなかったんじゃないかな、と思う。

今日もわたしは、一人でお湯に身体を沈めながら、止まらないわくわくを考える。