それはそれはあっけなかった。
でも同時に奇跡だ、とも感じた。

一緒に暮らしていた祖父、祖母はすでに亡くなっているけど、二人とも死に際に立ち会うことはできなかった。亡くなったと聞いて実家に帰ったときにはもう棺桶に入っていて。どんな最期だったのか、結局話を聞いただけで実際に見たことはなかった。

看護師として働いて4年目。わたしの部署は整形外科がメインのため、元々ターミナル(終末期)の患者様はほとんどおらず、これまでの4年間で亡くなった方も両手で数えられるほど。加えてわたしの勤務帯で亡くなる方が幸か不幸か一人もいなかったため、これまでお看取りをしたことが一度もなかった。
4年目の今年度末で退職予定のわたしは、もうここまできたらお看取りはしないで退職したい、そう思ってた。

不安で先輩に愚痴を漏らしていたら、“その時”はすぐに訪れた。

退職まであと1ヶ月と迫った2月某日。もういつ亡くなってもおかしくない患者様を受け持つことになった。
本来はわたしではなく先輩が受け持つ予定だったけど、先輩の計らいでわたしが受け持つことになった。しかもその方の受け持ち1回目。
ああ、嫌だなあ。わたしは受け持ちをわたしにつけた先輩に愚痴を漏らした。不安で不安で仕方なかった。

“その時”はわたしが勤務を開始してから、わずか2時間も経たずに訪れた。
5分前に確認したときには90台だった心拍も、他の患者様の対応をしている間に一気に20〜40台ほどの徐脈になり、急いで家族を呼んだ。
もういつ逝っても本当におかしくなかった。家族は病院到着まで30分ほどかかるらしい。
あと30分もつかどうか。
「もう少しでご家族さん来ますからね」
患者様に声をかけた。
お願いだから間に合って。

ご家族が到着した。電話から20分ほどだった。
数日前から危篤状態だったし、何度も連絡をしていたため覚悟はできていたはず。
でもやっぱりいざとなると焦燥した様子でナースステーションに到着した。
正直わたしも落ち着いてなんかいられなかった。
でも落ち着くしかないから、先輩方にたくさんフォローをしていただきながらなんとか取り繕った。
ご家族を病室に案内しようとした、ちょうどそのときに心電図モニターの波形がフラットになった。
あ……、あともう少しだったのに。間に合わなかったか……。

最期まで家族の愛にこたえる命を見た後、いつも通りの自分に驚いた

しかし、病室でご家族が患者様に声をかけると、その声に反応するかのように心拍が戻る。
噂には聞いていたけど、このことか。生命力すごい。人間って強いな。

家族で最期の時間を過ごしてもらった。
ご家族はみんな泣いていて、「大好きだよ」「よく頑張ったね、もう頑張らなくていいよ」「ありがとうね」と声をかける。
聴覚は最期まで残るみたいだけど、聞こえてたかな。聞こえてるといいな。
ほんの数時間しか関わってない患者様だけど、勝手にこれまでの人生を想像して、大きくて深い家族の愛を全身で感じた。

ご家族が到着してから20分ほど経ったところで、本当に戻らなくなった。
あ、亡くなったんだ。
医師に死亡確認をしてもらって、お見送りをした。

医療関係ではない人が聞いたら驚いてしまうかもしれないし、ただわたしの感情の何かが欠落しているだけなのかもしれないけれど、お見送りの準備をしている時、普段と何ら変わらない対応をしている自分に気づいて驚いた。
冷たくなってくるのかな、と思ったけど直後だからまだ全然あったかいし、死後硬直も始まってないから関節も軟らかい。
意識のない患者様や四肢麻痺のある患者様の対応は、これまでに幾度となくしてきているからなのか、その人たちと変わらなかった。何とも不思議な感覚だった。
チューブやルートだらけだった身体から、綺麗に身なりを整えたその顔はとっても穏やかで、無礼ながら本当に亡くなっているのか疑ってしまうほどだった。

初めて目の当たりにした人の死。ほんの数時間で見える世界が変わった

お見送り後、「ご丁寧に対応をしていただいてありがとうございました。お世話になりました」とご家族に声をかけていただいた。
心を救われたような気がしたけど、わたしはたった数時間で何ができたわけでもないし、わたしが救ってあげなきゃいけない立場なのに、と申し訳ない気持ちが勝った。

当日受け持つことを知って不安に思っていたあの時は、まさか数時間の間にこんなたくさんの想いを巡らせることになるなんて想像もしていなかった。
人の死を一番間近で見て知って感じたわたしは、また一つ強くなって成長できて、また一つ違う世界が見えるようになった気がした。

そんな貴重すぎる経験を最後の最後にさせていただけたことを、本当に感謝している。
この日のことは一生忘れずにこれからも生きていこう。