自分ひとりの時間は自由で、気楽で、楽しい。なのに罪悪感が
ひとりの時間は自由で、気楽で、楽しいのに。罪悪感を抱いてしまう。
私は幼児の頃からずっと、ひとり遊びが好きだった。
なのに、10代後半になった頃から“ひとり”であることに、引け目を感じるようになっていった。
中学や高校の頃とは違い、大学では基本的に個人行動だ。特定のサークルに属していなかった私は、自然と単独行動が多くなる。
舞台を見に行ったり、電車を乗り継いで旅行に行き、ひとりでホテルに泊まり、観光する。食事する時も、ひとりだ。
自分ひとりで全ての時間も、訪れる場所も、選べるのはとても自由で、気楽で、楽しい。
けれど、常に心の中で「今だけだから」と言い訳をするようになっていた。
家族連れやカップルに混ざり、ひとりを楽しんでいる。そのことを直接、誰かに責められたりバカにされたりしたわけでもないのに。
なんとなく心のどこかに罪悪感が潜んでいて、ひとりで楽しんでいる最中に急に顔を出す。
女がひとりで遊んでていいのは20代前半まで。25歳になったら友人か恋人か、誰か一緒にいるはず……いや、いなきゃ困る。
ひとりで行動する女性の、何が悪いのか。愛嬌を求められた就職活動
今でこそ目にしなくなったけれど、私が中学~大学生の頃は「愛されメイク」や「モテコーデ」なるものがネットや雑誌、そこらじゅうに溢れていたように思う。
ひとり旅やひとり焼き肉特集もあったけれど、異性にモテること、愛されることがより重要で、交際相手や遊び相手がいない女は寂しくて残念で負けている……そんな雰囲気を感じた。
思い返せば、就職活動の面接でも“ひとり”の後ろめたさを感じた。
ひとり旅やひとりで映画や美術館へ行くのが趣味だと答えると、面接官は渋い顔をしてこう言った。
「いつもひとり行動なの?う~ん、度胸はあるみたいだけど、男は度胸、女は愛嬌って言うでしょ?」
「仕事ってやっぱり人間関係だから。女性は愛嬌がないとね。女性ならではの、人当たりの良さとか気遣いとか……」
もし私が男子学生だったら、ひとり行動は度胸がある、自立してる、と評価されたのだろうか。
なぜひとりで行動する女は、愛嬌がないってことになるの?度胸があって何が悪いの?度胸だけじゃ、だめなの?
あれから数年たち29歳になった今も、どこか人目を気にしてしまう癖が抜けない。寂しい人間だと思われたくない、そんな自意識過剰な後ろめたさがずっと拭いきれないでいる。
あれは、なんだったのだろう。
別に私は人間嫌いでも、人付き合いが嫌いなわけでもない。
ただなんとなく、気が付いたらひとりで行動に移しているのだ。それの何が悪いというのか。
この2年間、コロナ禍になり、さらに転勤、引っ越し、退職が重なり、今までにないくらいひとりの時間が増えた。
今までなら後ろめたく思いつつも積極的にひとりで出掛けていたけれど、今はそうもいかない。家に籠りがちの日々が続いている。
今思えば、なんてもったいないことをしていたんだろう。後ろめたさや言い訳なんて、一切いらなかったのに。
こんな世の中になるのなら、もっと自由に、人目を気にせず楽しんでおけばよかった。
家の中にテントを張ってひとりの時間を堪能する。私は、幸せだ
コロナ禍も1年、2年と過ぎ、さすがに動画を見続けるのも読書も飽きた。
何か外の空気を感じられる楽しみがほしい。
ふと、車の中に夫の趣味のキャンプグッズが積んであることを思い出す。
キャンプの知識も経験もない私には、野外でひとりでテントを設立し、釘で固定するのは至難の技だ。
じゃあ室内なら?ワンタッチで広げられるテントがあったはず。
キャンプグッズを車から下ろし、家の中でキャンプごっこをしてみることにした。
少し寒いけれど窓を開け、卓上ミニスピーカーで焚き火や清流の音を流す。
焚き火のパチパチと爆ぜる音を聴きながら、キッチンのガスコンロでマシュマロを炙る。
テントに潜り込み、トロトロに溶けたマシュマロをビスケットに乗せ、口に放り込む。
20歳の頃の私が今の私の姿を見たら、何て思うだろう。
お洒落でもない、モテもしない、端からみたら室内でテント広げてひとりで寝転がってるなんて、野外のキャンプ場ですらないなんて、なんて寂しい残念な女、なんて思いそうだ。
でも、幸せだ。そして楽しい。