今度の誕生日、何が欲しい?
黙々と哺乳瓶を洗っていたら、突然後ろから声が聞こえてきた。
ふいに夫から投げかけられた優しい言葉で肩の力が抜け、いつの間にか自分の眉間に皺が寄っていたことに気づく。

そうか、もうすぐ私の誕生日か。
家事育児とフルタイム勤務の日々で、今日が何年何月何日かなんて、ましてや自分の誕生日なんて、頭のどこにも把握する余裕がなかった。

せっかくのありがたい提案だ。
何をおねだりしようか。
バッグ?アクセサリー?洋服?
翌日、早速会社のお昼休みにルンルン気分で欲しいものを探し始めた。

その次の日も、翌週も、翌々週も、私はスマホで「レディース プレゼント」を検索していた。とっくに誕生日は過ぎ去っていた。
見つからない。
欲しいものが、何もない。

欲しいものだらけの学生時代から、現実の生活に向き合うように

ノートや鉛筆が無くなれば新しいものを買ってもらえて、食卓に座れば美味しいご飯が出てきて、トイレットペーパーや洗剤の残量を気にしたことがなかった学生時代は、この世のあらゆるものがキラキラ輝いて見えて、いつも欲しいものに溢れてた。

大人っぽいデザインのバッグ、うっとりするような美しさのリップ、ドラマで一目惚れした冬物コート、大好きな歌手のコンサートチケットとコラボグッズ。
無くても死にはしないけど、あったら嬉しいものたち。

衣食住が親の管理下で整えられているからこそ湧き上がる、心の栄養になるような欲しいものたち。
お年玉やお小遣いやバイト代でなんとか手に入れてもその喜びは花火のように一瞬で弾け散り、すぐに次はどんな素敵なものがあるだろうとワクワクしながら世界を見回していた。

就職を機に実家を離れ、一人暮らしをし始めると、衣食住を整えるには相当なお金が奪われるという現実に初めて直面した。
欲しいというより、必要だから買う。
必要だから買っていたら、給料のほとんどが消えてしまう。
SNSや雑誌で欲しいものをみつけても、「もっと昇格していつか貯金ができたら買おう」と憧れの気持ちへ変換してやり過ごしていた。

結婚、出産を経て、何かを欲しいという気持ちを失っていた

そのうち少しずつ一人暮らしの生活に慣れ、節約を意識できるほどの余裕が出てきた頃には、結婚や出産で新たな出費に頭を抱えることになった。
早朝から深夜まで激務な夫や遠方の両実家に頼らず、自力で日常生活の全てをこなしていると、体力も気力も限界を優に越える。

憔悴しきった身に鞭を打って家族の衣食住を整え続け、欲しいものがあっても憧れの気持ちへ変換してやり過ごしていたら、いつの間にか欲しい気持ちごと見失ってしまっていた。

この世の全てが灰色にしか見えない。
たまに「あ、昔の私だったらこのワンピースが好きだったかも」と思えるものを見つけても、すぐに「いや、娘のオムツ10パック分の値段か」と意気消沈する。
自分にかけるお金なんてもったいなくて、その分を生活費に回さないといけないような罪悪感に苛まれる。

でも、
「この先ずっと灰色の世界で、家族の衣食住を整えるだけの人生を送るつもり?」
そんな考えが頭をよぎり、思わず両腕で自分の身体を抱きしめた。
そんな人生まっぴらごめんだ。
私は、ちゃんと色のついた世界で私の人生を生きていきたい。

私がいま一番欲しいものは「欲しいものを欲しいと思える気持ち」だ。
一度見失ってしまったこの気持ちを取り戻すには、どうすればいいのだろう。
こびりついた自己犠牲の精神はなかなか削ぎ落とせない。
でも、衣食住に必要経費があるように、私の心の栄養だって私の命の必要経費だ。

欲しいもの、見つけよう。
この世が灰色からゆっくりと色づき再びキラキラ輝いて見えるよう、心の声に耳を傾けよう。
ミルクも買う。オムツも買う。醤油も洗剤も買うけれど、まずは私の真っ赤なハイヒールを買っちゃおうか。
グレーのぼろぼろスニーカーでは行けなかった新しい世界へ、一歩、踏み出していけるように。