月並みなアンサーかもしれないが、「いま一番欲しいもの」を問われれば、私は「温かい家庭・家族」と答えるだろう。
私は、いわゆる機能不全家庭と呼ばれる環境で育った。精神的に不安定で暴力も辞さない母親に、家庭内のことに無関心な父親。私は自営業で働く祖父母の家で過ごすことが多かったが、どこにいても本心から居心地がいいと思えることはなかった。私にとって、一応「家族」はいても「家庭」などないようなものだった。
色々あった末、私は就職を機に両親、親族、そして彼らと繋がりのある友人と一切の縁を切った。だから今の私には、実質的な身寄りがいない。

「普通の家庭」に強く憧れる一方、相応の不安もつきまとう

そんな私は、おそらく同年代の身近な女性たちよりも、家庭を持つことに対する思い入れが強いと想像している。
「毒親育ちは世代間の毒の連鎖を断ちたいため、子供を持つことを望まない傾向にある」とよく言われるが、私はその逆で、一般的に言われるような「普通の家庭」に強い憧れがある。自分の親ができなかったことを、私ならできるんだと見返したい気持ちがあるのかもしれない。

一方で、その思い入れが強いだけに、相応の不安もつきまとう。
交際相手は、私と一緒になりたいと思ってくれているのだろうか?
結婚したとして、元々ひとりの時間が好きな私に共同生活は耐えうるだろうか?
どうしても我慢できない相手の欠点が結婚後に判明したら、どうなるのだろうか?
子供がとんでもない問題児だったとして、その子に無償の愛を注ぎ続けることができるだろうか?
子供と自分の幼少期を重ねて見てしまって、「やっぱり毒の連鎖断ちきれませんでした」とならないだろうか……?
杞憂であってほしいと願う一方で、現実的なこうした不安と切っても切り離せない望みを私は抱えてしまっている。

温かい家庭というのは、すぐそこにあるようで、やっぱり遠い

そうしているうちに私も、同年代の知人友人が1人また1人と結婚していく年齢になった。
「自分は結婚という形にこだわらない」とかつて語っていた友人が、あっさりと幸せそうに結婚するのを横目に、でも気にしすぎないようにしながら、私は改めて自分の「いま一番欲しいもの」と向き合っている。
周囲はみんな、当然のように結婚していくこの世界で、望めば望むほど、自分だけが家庭を持つことから遠ざかっているような気さえしてしまう。
私が難しく考えすぎているだけなのだろうか。温かい家庭というのは、すぐそこにあるようで、やっぱり遠いと感じてしまう。

感情面だけではない。現実的な面でも、私には「家族」が必要なのだと感じる。
親族と呼べる人が一切いない今の私には、たとえば部屋1つ借りるにも「親族の」連絡先が必要となり、困るような状況になってしまう。それに、私の身に万が一のことがあった場合、おそらく真っ先に連絡が行ってしまうのは、世界で一番消息を知られたくないあの人たちになるだろう。
家族の形の「多様化」が少しずつ進んでいるとは言え、残念ながら、未だに「血縁関係」「婚姻関係」が重視される部分もある時代において、私のような者はどうしても肩身が狭くなりがちである。

傍から見たら、今の私はただの寂しい独身女かもしれない。でも、私が欲しいのは、恋愛でも世間体でも寂しさを埋めてくれる存在でもない。
ただ、安心できる人と、安心できる場所にいたい、それだけなのだ。