私は2つのバイトを掛け持ちしている。家の前の坂道を自転車で下り、右へ曲がるとケーキ屋、左へ曲がると学童でのバイトだ。
1年くらい前まで、左右どちらの道を行くかで気分がまるで正反対だった。

留学が延期になりケーキ屋でバイト。憧れの仕事なのに苦しかった

私は小さい頃からパティシエになるのが夢で、高校卒業と同時に家を出た。
念願の製菓学校を卒業したのが、20年3月。本来ならそのまま留学するはずだったのが、コロナで延期になった。
留学が再開するまで、少しでも製菓に関わる仕事をしなくてはと思い、地元へ帰ってケーキ屋でバイトを始めた。
当時、その店には正社員がいなかった。私はバイトでありながら、1年目の社員がするような仕事を任せてもらえた。

教え方が丁寧で、メモもとらせてくれる。私のキャリアにはとてもありがたいことだった。
しかし、職人の世界はやはり厳しい。学校を卒業したばかりで現場のことを何も知らなかった私は、仕事のスピードに全くついていけなかった。
オーナーと一対一の厨房で常に急かされ、勝手に焦り、ミスが増える。怒られるたびに萎縮してしまい、さらに仕事が遅くなるという悪循環。

厨房には朝から重たい空気が漂っており、従業員全員、心にゆとりがなかった。
教わったことができていなかった日には、「死ねばいい」と言われたこともある。
人手不足な上に新人の私は使えない。私自身、仕事ができない私が嫌いだったし、余裕を失って出た言葉だと分かってはいたが、大人がそんなことを言うのかと驚いた。

家族にも言えず、夜中に布団の中で声を殺して泣いた。それでも次の日には、ちゃんと平気なフリをして出勤する。ナイフがずらりと並んだ厨房に入るのが怖かった。

大好きなお菓子作りなのに、苦しい。憧れの仕事なのに、辛い、しんどい。
でも、修行が辛いなんて当たり前。私が仕事ができるようになれば、すべて解決する。今はとにかく頑張らないと。頑張る。何度も言い聞かせた。

私が冗談っぽく「行きたくないなー」と言うと、家族は「辞めたら?留学行くまでだし、バイトだし」と言った。
私は掛け持ちをしているし、このバイトがなくてもすることはたくさんある。しかし、辞めるという選択も、私にとっては苦しいことだった。

仕事をしていないと、職人としての自分がダメになるんじゃないか。同世代の職人との差が開いてしまう。そう考えるのがストレスだった。
仕事に行きたくない。しかし、仕事をしていないと不安になる。考えるのも嫌になって、環境を変える勇気もない。ひたすら心が削られていく、そんな毎日だった。
今振り返ると、そんな中途半端な気持ちで仕事に取り組んでいたことを申し訳なく思うけれど、当時はその日その日を乗り切るので精一杯だった。

癒やされた学童での仕事。そこで相談して返ってきた言葉

幸い私には、心の痛みが体に出る前に、心の傷を治してくれる場所があった。
それが、もう1つの仕事だ。坂を下って左へ曲がる、学童での仕事。
以前地元にいた時のバイト先で、留学の延期が決まった時には真っ先に連絡した。

学童では、子どもの宿題をみたり、一緒に工作をしたりする。彼らの無邪気な笑顔や素直な心には、本当に癒される。
週1日、子どもと関わるこの時間は、私の心の傷を修復してくれた。
私は、この職場のスタッフの方々にもとても救われている。家族ではない身近な大人とは程よい距離感があり、なぜだか素直になれた。

子ども達が帰った後、1人のスタッフの方と話す機会があった。気が付くと、もう1つの仕事が辛いと打ち明けていた。
私は普段、人に弱音を吐くタイプではないのに。こんな話をしても困らせてしまうと思い、「でも頑張ります」と付け加えた。
これまで、そう言えば周りは応援してくれた。しかしその方は、とても不安そうな顔をしたのだった。私が大丈夫じゃないことに気が付いてくれたのだと思う。

「やりたくないのにやっても効率がよくないし、やりたいことをすればいい。学童の仕事も、嫌になったら離れればいい。無理はしないように」

今までと違う背中の押され方に、心の底から救われた。
きっと、「辞める」ではなく、「離れる」という優しい言葉だったから、すーっと私の中に入ってきたのだと思う。

一度「離れる」ことを選択。いまは真っ直ぐな気持ちで仕事できる

1年が経つ頃には、仕事にもずいぶん慣れた。できるようになれば解決するという私の考えは間違っておらず、オーナーも丸くなった。
私も根気強かったし、できるまで見捨てず育ててくれたことに感謝も尊敬もしている。しかし、私は一度その店を「離れた」。ちょっと休憩することにした。

「自分にお休みをあげるんです」と言ったら、あの方は「そういうの大事ですよね」と言ってくれた。やっと自分を肯定できた。
半年後には戻り、今は真っ直ぐな気持ちで仕事に取り組んでいる。右側の道が、以前よりも格段に明るい。空気も軽くなった。

一度「離れた」から、迷いなく向き合えた仕事。
ずっと続けたから、もっと好きになれた仕事。
この4月から留学が再開すれば、私は大好きな仕事を「辞め」なければならない。帰国後はすぐに就活が始まり、仕事を頑張るための仕事はもうできない。
これから始める仕事とは、無理せず晴れやかな気持ちで付き合いたいものだ。