「ママ、ごめんなさい。」
この短いフレーズを直接、面と向かって言う事が未だに恥ずかしい。
中学生でもないのに…。自分でも大人気ないと思っている。
家族や身内に対して強く当たる性格である事が祟り、「内弁慶」と呼ばれている。
早速だが、私が何を謝りたいのか?について。

過干渉の母は「毒親」だと思った私は黙っていられなくなった

母は子供への愛情の注ぎ方に難がある。所謂毒親と呼ばれるタイプだ。
私が毒親というワードを知ったのは2019年の冬頃だった。

Youtube、ブログ、Twitterなどで何度も毒親という文字が目に入り、気になって意味を調べるとかなり自分の親に当てはまっていた。過干渉、過保護、押しつける、大げさ、ヒステリー、子育てから逃げる、愚痴、嫉妬など、その数々の項目はまさに私の母そのものだった。
でも母だけに問題があるとは思わない。
過干渉である母と対照的な無関心の父の存在。
特別、家庭環境が荒れているわけではない。ただ、他人からは分からないように、静かに心を侵食される感じ。
私が精神に難ありな人間になった理由も頷けてしまうな~なんて思ったこともある。

自分の親が毒親である、と思ったら私は黙っていられなかった。
これだ、と思ったら突っ走っていくタイプなので、自分でも口を塞ぐ事ができなかった。
黙っておけばいいものを「毒親だ、私は小さな頃から嫌な思いばかりした」と少し言い合いになったりした時など、事あるごとに放ってしまった。
思春期のように「何で産んだんだ、こんな家に生まれて来たくなかった」と言ったこともあった。
母親も勿論反論してきて、「あんたは楽しかったことは全て忘れている。あんなに可愛がっていたのに」と。
「自分の親は毒親」というイメージで固まった私の頭はそう簡単に覆ることはなく、遂に家を出て1人で暮らすことになった。

家を出て気付いたのは、「ワガママ」な自分と両親のこと

今だから思うことだが、その費用も親持ちなのになんてワガママな娘なのだろうと思う。
1人で半年間ほど暮らしたものの、飲んでいる薬の影響や精神的な脆さから眠れなかったり寝過ぎたりで、アルバイトすらまともに出来ないボロボロの精神状態になり、大嫌いなはずの実家に戻る事になった。
父にも母にも金銭的負担がかかったはずだ。また、私が責めた事による精神的な負担もあった事だろう。
それでもまた、居候することを温かく許してくれた。
ある種の思い込みから一度外に出る事になった訳だが、なんだかんだ言いつつもやっぱり愛されているのかもしれないと思った。
毒親という言葉を知って、それにのめり込んでいた私は、親を原因とする事で何かから逃れられた気分になったのだと思う。

「毒親」と言ってしまった両親に、いまは謝りたい

ださい。
自分の人生の尻拭いすら出来ていないのに。
だから永遠の思春期はそろそろ卒業して、「ママ、ごめんね。」という言葉を母が生きているうちに言いたい。
同時に父にも謝りたい。
過干渉でも無関心でもやはり親である事に変わりはないわけだ。
強い言い方をしてしまったのに、なお一緒に生活を送ってくれることに感謝。

ごめんね、ありがとう。愛してないはずの愛すべき両親。