自分の部屋がない私。一人の時間を確保するのが難しい

私には自分の部屋がない。
私が小学生に上がる時、父と私の共同部屋を作ってもらった。しかし、私の勉強机やクローゼットは用意してもらったものの、父のクローゼットも同じ部屋にあり、私一人の空間というものではなかった。
私が共同部屋で勉強していても、父が服を取りに部屋に入ってくるときもあり、集中できない。鍵が付いているわけでもないので、誰でも平気で入ってこられる。そのため、私は共同部屋で勉強や好きなことをすることを諦め、何をするのもだいたいは台所かリビングとなった。

実家暮らしなこともあり、母がいなくても父がいる。父がいなくても祖母がいる。家には誰かしらいることが多く、一人の時間を作ることはなかなかに困難だった。話しかけられたり音を立てられたりで、なんらかの物音は常にする中での生活を余儀なくされていた。
寝る時も寝室で家族そろって寝ているため、スマホをパタパタとタップする音やいびきなどが聞こえ、静かな空間さえ少ない。そのため、耳栓を買って耳栓をしながら眠りにつく日もある。

少し前までは、日付が変わる頃には家族が寝るために寝室へ行っていたので、深夜の時間が一人の時間だった。しかし、最近は両親が割と深夜遅くまで起きているため、一人の時間を確保することがさらに困難になった。
一人がとても好きなわけではないが、私は静かな空間を好んでいた。そのため、ガヤガヤとしている家の空間にストレスを感じることが多々あった。

働き方改革で、平日の昼過ぎから家を独り占め。幸せだ

そんな中、私は一人の時間を確保した。
私の中での働き方改革だ。
常勤で働いていた学校を非常勤に変更。働く時間帯を4限目までにする。そうすることで、平日の昼過ぎから休める時間が確保された。両親が仕事をしている時間に休める時間を確保することは、家もほぼ独り占めを意味する。
平日の午前中も1日休みにした。朝早起きをしなくてもいい状態は、ちょっとした優越感だった。
働き方改革の結果、平日の午前中や平日の昼過ぎは私一人の空間となったのだ。

寝室には誰もいない。静寂な空間は私を安心させた。
何時まで寝ていても、昼寝をしても、パジャマのままでいても、誰も何も言ってこない。家にいないのだから誰にも邪魔されない。幸せだ。

昼ご飯だって自由だ。自分の食べたいものを作り、テレビ見ながらでもスマホをいじりながらでも誰も怒ることはない。それに、誰かが家にいるわけでもないので手抜きし放題。カップ麺だろうが冷凍食品だろうが、その日の気分で食べられる。自由だ。
さらにおやつだって縛られない。ほぼほぼ食べ放題状態。

我が家はお菓子やアイスクリームを買いだめしている。甘いものから辛いものまで様々だ。だから朝ご飯の後や昼ご飯の後に好きなお菓子を物色。チョコレートの次はうまい棒の明太子味にしようかな。いや、やっぱり今日はチーズ味にしよう!至福のひとときだった。

新しいことや制作にも打ち込める。一人おやつを楽しみながら

一人の時間ができたことにより、私は新しいことや制作活動にも打ち込むことができるようになった。
静かなので集中して細かい作業ができる。家族にこっそり手紙を書くことや、趣味の公募だって気軽にできた。日記やエッセイを書くのも一人の時間だからこそできた。見られたくない内容の事柄だって、机の上に堂々を広げて自由に書けた。

自分の部屋がある人にとっては、容易なことかもしれないが、私にとっては容易なことではない。一人の時間を確保することは難しいことだった。でも、働き方改革をし、自分の時間を作ったことは正解だったと自信を持って言える。

自由だから。

一人の時間は自由だ。誰も邪魔しない。誰にも邪魔をされない。好きなことができる。それは私にとっての幸せだ。
今日も昼過ぎに一人おやつを楽しもう。