私は、友人の中でも1人2人いるかいないかの稀にみる一人っ子である。
「一人っ子は、性格や行動に傾向が出る」と周りにいる人たちからよく言われた。
自分ではよくわからないけど、自己中心的な行動になることが多いようだ。たしかに、周りにいる一人っ子を見てみるとそうかもしれないと思うこともしばしばある。

幸いきょうだいの話になると「一人っ子でしょ!」と言われることはなく、大抵は「弟がいそう」と言われるので、行動に一人っ子らしさは出ていないのかと安堵の気持ちである。

ひとりで過ごす時間の幸福。自分の時間を満喫できる貴重なひととき

小さい頃からひとりには慣れていたし、ひとりの時間を過ごすのが好きだった。
だけど、小学生のときには男女仲良く毎日遊んでいたし、進学し親友が出来て2人だけで遊ぶことも増えた。

大人数で遊ぶ楽しさも少人数で遊ぶ楽しさもそれなりに経験してきたつもりだ。どちらも違う楽しさがあって、大好きな時間だ。そして、大人になった今でも、遊びに誘ってくれる友達はいるし、母は毎日一緒にゲームをしてくれる。母とは常にくだらない話をして笑っているのが日常である。だから私は、決して孤独ではない日々を過ごしている。

そんな中、ひとり買い物へ向かう道で考える。
好きな音楽を聴きながら歩けるのもひとりでいるときの特権。至福のときだ。
誰からの意見ももらわず、好きなものを好きなだけ買えるのもひとりでいるときの特権。
誰にも邪魔されずに、自分の時間を過ごせていると思えることこそ、私にとっては幸せな時間なのである。

そして、私にはこうして文章を書くためにもひとりの時間は欠かせないのである。
憑依型の俳優という言葉をよく耳にするが、私も文章を書くときには自然と文章が降ってくるし、切り替わる瞬間がある。

自分が書いたものを時間をおいて読むと、これは本当に自分が書いたものなのか、と疑いたくなるときもある。だから、役に憑依されてしまう俳優も歌詞が降ってくると表現する作詞家の気持ちもよくわかる。大抵、文章が降ってくるのはひとりでシャワーを浴びているときか、ひとりで歩いているときだ。そして、その文章が1つのものになったとき、楽しいなと感じる。

周りの人のおかげで、ひとりの時間も孤独じゃない

こうやって、ひとりでいる時間を「楽しい」「幸せ」と思えるのも、一緒に遊んでくれる友人や連絡をくれる人、SNSで繋がっている人の存在があるからだと思っている。

多忙を極めた先に周りが見えなくなくことも多々あるのだが、そんなときにひとりでいると自分と周りのギャップに距離を置きたくなるときもある。そんなときに自分は「孤独だな」と思うのである。どうしようもない孤独感が襲うと現実から逃げ出したくなるし、周りと距離を置いた途端に相談する相手もいないのだと錯覚してしまう。どちらも同じひとりの時間なのに、身を置いている環境によって感じ方はそれぞれである。

だから、私は「ひとりは好きですか?」の問いに「ひとりは好きだけど、孤独は嫌」だと
答えている。一見、矛盾しているように感じるこの言葉も私にとっては大きく意味は違うし、この言葉を言う機会があるたびに、「視野は広く、周りに感謝したい」と強く思う。
私がひとりを好きで楽しめるのは、間違いなく周りにいる人たちのおかげだ。