「あ、そろそろ駄目だ」
そう感じた時は、一人時間を欲している時。自分を取り巻く環境の中で、一人で過ごす時間が少なくなると、発令される注意信号のようなもの。

家族や友人、恋人といる時、学校や職場で過ごしている時、どんなに楽しくて賑やかでも、自分にはどうしても一人の時間がないと、気持ちのバランスをうまく取ることができないようだ。

十分な一人時間を確保できないと、ストレスがもくもくと溜まっていくような感じがして、気が付いたらいつもの自分らしさが消滅している。ストレスが溜まることで、自分で自分の機嫌が上手に取れなくなり、最悪の場合、関わる人への接し方が冷たくなってしまったり、余裕がなくなってしまうこともあった。

物心ついた頃から、あえて人と離れた時間を作ることで、自分にとって「本当の休息」を挟み、人間関係を円滑に保てているような気がしていた。
一人で過ごしている時、頭の中はクリアになる。誰にも気を遣うこともなく、心も気疲れしない。それが「本当の休息」。

自由を満喫した一人暮らしを経て結婚した今も、一人時間は大切

一人暮らしの休日は、それはそれは自由だった。
朝、目覚まし時計をセットせず、起きたい時間に起床、食事だってもう朝昼兼用でいいや、掃除や洗濯は帰ってからでいいから、今日はあそこへ行こう、誰々に会おう、飲みたい時にお酒だって飲んじゃおう、帰りの時間も決めていない。いつ何をしても、決めているのはすべて自分。

一人で過ごすことは、「自由=自律」で成り立っていたはずなのに。だらしなさ半分、振り返ると気ままな自分が羨ましくなるほど。
そんな生活だけど、何にも囚われない、一人でのびのび過ごす日々は本当に心地がよく、自由気ままであることの高揚感と、ちょっとの孤独をどちらも味わっていた。

そんな一人暮らしも、いつかは終わりを告げた。結婚を機に夫との共同生活が始まり、今では生活習慣、というものが少しは身に付いてきたようだ。

平日は決まった時間に起き、朝食の準備をする。自分の身支度を済ませながら、夫を送り出したら急いで部屋に掃除機をかけ、自分も出勤をする。朝は一分刻みのスケジュールの中、いかに効率よく過ごすかを考えて暮らしている。

もちろん、一人時間をどうしても必要とする性質は今でも変わっていない。時々、自分一人だけの休みを意図的に作り、「本当の休息」をしている。

一人時間に自分と向き合うことで保たれる「いつもの自分」

日中、しん、とした部屋に一人でいるうちに心から落ち着く感じがとても好き。それでも、夕方に夫は帰ってくるし、休日であろうと家事や料理は担わなければならないが、「一人でいる」という時間に、気持ちの余裕が生まれてくる。

日頃考えていたことを整理したり、新しい目標を設定したり、思い切り昼寝をしたり、好きな音楽を流してお酒をちょっと飲んでみたり、一人で過ごす時間があってこそ、いつもの自分が存在できているような気がする。

「一人で過ごすことが好きだ」と話すと、寂しいねとか、退屈じゃないなどと返答されることが多い。自分のように一人で過ごす人、誰かと賑やかに過ごす人、その人によって、様々なリフレッシュ方法があると思う。

自分にとってのリフレッシュ方法は、一人時間を過ごす中で、対人ではなく、対自分と会話をすること。誰にも気遣いをしない状況で、素の自分になって物事をじっくり考える。もしくは何も考えずに、自分を空っぽにして過ごす時間も大切。

一人で過ごす時間とは、「いつもの自分」を保つためのメンテナンスであり、「新しい自分」に出会う方法でもある。
今では一人暮らしの頃の、気まますぎる自由は利かないけれど、自分のために自分の時間を作ってあげることを心掛けている。自分のために、自分と関わる人のために。