小学生や中学生の頃は小説が好きで、休み時間ですら読書をして過ごしていた。
古い紙の匂いがする図書館が大好きだった。
そこに自分だけの世界があったからのように思う。だれにも邪魔されない世界がそこにはあった。甘い恋愛も夕日に走るような青春もなかったけれど、日常生活にはない輝きがそこにはあった。

勉強、アルバイト、大学の課題、仕事…様々なものに追われるようになった

しかし、高校生になると自分だけの世界にこもることが許されなくなった。
受験だ。
大学に向けて勉強しなければいけない。親の期待が重くのしかかった。
私の日常生活はかつてないプレッシャーの中に置かれた。
もともと頭がいいわけではない私は英単語を一つでも多く覚え、計算問題を一秒でも早く解く必要があった。休み時間は勉強する時間になった。図書館は勉強する場所になった。
手にするのは参考書や単語帳ばかりになった。

それから、大学に何とか合格できた私はアルバイトや講義、課題に追われるようになった。今までにない体験はどれも新鮮で大変なこともあったけれど、ほとんどが楽しい時間だった。
参考文献を探してレポートを書いた。専門書を何冊も借りて図書館と自宅と講義室を行ったり来たりした。

社会人になり、仕事や家事といった様々なものに追われるようになった。最初は楽しかったことも、慣れていくと面倒ごとの繰り返しのように思えてきてうんざりする。

私を癒してくれていた一人旅は、コロナウイルスの流行によりできなくなった

そんなあわただしい日々の中で、私を癒してくれていたのは一人旅だった。
日々迫りくるタスクたちから逃れ、全く知らない街で全く知らない人々を見ながら、時には世間話をしたりしながらゆっくりと時間を過ごすのが私にとってのリフレッシュだった。時には遠くの友人に会いに行ったり、気になった観光地に何時間も運転して向かったりもした。そうやって過ごした休日明けの仕事は、なんだか新鮮で心なしかいつもよりはかどっていた。

2019年、新型コロナウイルス感染症の世界的流行が始まった。
都会から遠く離れた場所で、そんな風にリフレッシュと日常をやりくりしていた私の生活は大きく変わった。
不要不急の外出は控えるように。
軽い気持ちで県外への移動ができなくなり、日常がある街から離れた遠くへ行くこと、迫りくるタスクと一度自分を切り離すことがどれほど自分に大切なことだったかを知った。

小説を読むことは自分の人生から一度離れて、他の人の人生を体験すること

テイクアウトや資格勉強、YouTube鑑賞、映画、料理……それまで旅行に使っていた時間を別のことに使ってみるようにした。
その中で、久しぶりに小説を手に取った。
社会人になってから、資格の参考書やHowto本、ビジネス本を手にすることはあっても小説を手にしたのはかなり久しぶりだった気がする。
役に立たないから。心のどこかでそう思って切り捨てている自分がいた。

久しぶりに読んでみて、小説を読むことは自分の人生から一度離れて、他の人の人生を体験することだと思った。
こことは違う、東京や京都、北海道、瀬戸内海の小さな島、どこかの知らない街。
いろいろな場所が舞台になっていて、それぞれの違った風景を見せてくれた。
文章で季節や風景、匂いや天気を感じた。懐かしかった。
小説の中に出てきた小説を読んだりもした。普段自分が手に取らない作品は新鮮で、日常生活を忘れさせてくれただけでなく、手に取るきっかけになった作品の世界観をより身近に感じることができた。
役に立たないから、と切り捨てていたのがもったいないことに気づいた。
小説は自分を日常生活から程よく切り離してくれた。
コロナが落ち着いたら、小説を持って旅に出たい。
小説の中の世界をこの目で見て、空気を肌で感じたい。