チェーン店もある。手に入らないものは、心からのときめきだけ

国道沿いに立ち並ぶチェーン店。インフラたるイオン。
手に入らないものはない。
手に入らないものは、心からのときめきだけ。
そういう町だった。

自転車を漕げばどこへでも行ける。行く先々のコンビニ前で、中学卒業と同時に縁を切ったヤンキーたちがたむろしていたけれど。はい、迂回。

ここから出ていくには勉強しかない。
自転車を漕いでやってきたマクドナルド。百円コーヒーで何時間も粘って参考書に向き合って、ため息を吐いて。

都市伝説?この町では、小説を読んでいたらいじめられる

ああ、『ここは退屈迎えに来て』。

「わかる、そうだよね」。素敵なタイトル。
そうだよね、私たちはもうこの場所に倦んでいるよね。
心の中で話しかけてイオンの本屋で手に取ったのは、高校何年生の時だっけ。

小説なんて読んでないで、勉強しないとこの場所から出られない。
参考書を開いて、数問解いて、ああやっぱり数学なんて大嫌い、そう思って、鞄に隠していた本を取り出した。
知ってる?この町では、小説を読んでいたらいじめられるの。……都市伝説だと思う?笑っていいよ。

この町に住む十代の女の子は、紛れもなくこの小説の登場人物たち

本を開く。救いを求めたはずの文学は、たまに残酷なほどの真実を教えてくれる。

だってここは残酷なくらい退屈でしょう?迎えに来てよ、椎名くん!

私は、いや私たちは、紛れもなくこの小説の登場人物たちだった。私たちというのは、この町に住む十代の女の子。このくだらない国道沿いに閉じ込められた私たち。

だって私たちは実際、クラスの男の子の話であるとか(もちろん名前は椎名くんではなかった)、十六歳で経験したいと考えていたセックスのこととか(実際十六歳で経験することはなかった)、TSUTAYAのレンタル価格のこととか、いつか都会に行って自立したいとか、そういう話ばっかりしていたから。

そして、私たちを迎えに来てくれるのは、椎名くんみたいな普通の男の子以外あり得なかったから。

私じゃん。私たちじゃん。この町じゃん。

ページをめくって、その時々でため息を吐いて、紙のコーヒーカップが空になったらおかわりを入れてもらって(私たちの町では、マクドナルドの百円コーヒーがおかわり自由だった時代がある)、一気に読み終えた。

私たちじゃん。びっくりして、表紙を見つめた。

ありふれた存在で、代替可能であるらしいと知ってしまった

この町に倦んでいた。でも白状すれば、倦んでいることは特権であると信じていた。
だってファミマの前でタバコを吸う中学の同級生たちは楽しそうだもの。
この町を睨みつけることこそ、私たちのアイデンティティであると思っていた。
それは勉強ができる女の子たちだけが持っている、文学から得た姿勢だと思っていた。
この町を見下すこと、ヤンキーを無視してコンビニに入ること。そういうことが私たちをこの町から逃げ出させる力であると信じていて、それはこの町の特権階級である私たちのみが持つものだと思っていた。

あれ、私たち、どこにでもいるじゃん。だって、この小説の中にいるじゃん。
知ってしまったのが、山内マリコの『ここは退屈迎えに来て』だった。

知ってしまった。私たちは決して特権階級ではないということを。
ありふれた存在であって、代替可能であるらしいということを。
地方都市はここだけでなく全国あらゆる場所にあって、みんな椎名くん的な誰かに迎えに来て欲しがっているということを。

椎名くんを待っていたら、本当にこの本の登場人物になってしまう

自分が特別でないと知った時、女の子は大人になってしまう。
文学を通して夢見る少女でいたはずなのに、他ならぬ文学の手で、剥き出しの大人になってしまう。剥き出しの大人になった私は、その本をそっと片付けて、コーヒーのお代わりをもらった。

勉強しよう。勉強して出ていくんだ、この町を。
椎名くんを待ってなんていられない。椎名くんを待っていたら、本当にこの本の登場人物になってしまう。

あの町は何でも手に入った。心からのときめき以外なら何でも。残酷な現実を知ってしまう小説さえも。
剥き出しの大人の私は、あの町で形作られたの。小説の手によって。