人との関係はギブ&テイク、与えたり与えられたりするものだと言うけれど、学生の頃の私は、いわばテイク&テイク。人に与えられてばかりだった。

オーストラリアへの留学は苦労の連続の日々だったけれど

大学3年生の頃、オーストラリアに留学していた。
英語は留学前に日本でよく勉強したはずだったが、いざ現地に着くとなかなか思うように英語が通じず、苦労の連続だった。

言葉が不自由で苦労してばかりの私がなんとか生きていけたのは、助けてくれる人がいつも周りにいたからだった。
ホストファミリーは、大学初日には私が道に迷わないよう学校の近くまで一緒に来てくれたし。
朝大学に行く途中、乗り換えのバスターミナルでバスを降り損ねてパニックになっていたときには、同じバス停から乗っていた近所に住む女性が帰りのバスまで連れて行ってくれた。

現地の人の優しさに感動した私は路上ライブをすることに決めた

私は人の優しさに心から感動していた。
人を助けるのに、恥じらったり遠慮したりしない。そんな態度が素敵で、いつか私もそうなりたいと思っていた。
ただ私は英語が不自由で、誰かを助けられるようになることはあまりなかった。

留学先での生活にも慣れてきた頃、私は趣味のバイオリンで路上ライブをするようになっていた。
私の住んでいた町はブリスベンというオーストラリアでも大きな都市。子どもも若者もお年寄りも、道端で音楽や絵のパフォーマンスをしている人がたくさんいた。そんな環境だからこそ、私も思い切って路上ライブに挑戦することができたというわけだ。

私が路上ライブをするのは、やや人通りの多い駅前か、川沿いのバーベキュー台が並ぶ公園と決まっている。
ほとんどの人がバイオリンを弾く私の前を、立ち止まらずに通り過ぎていく。
ただ通り過ぎるときに、誰も彼もが笑顔で「すてき!」「いい音楽だわ!」「ありがとう!」と声をかけてくれたり、親指を立てて「Good」のサインをしてくれたり、財布からコインを何枚か出して私のバイオリンケースに入れてくれたりと、何かしら反応を示してくれるのだ。
演奏中に言葉を返すことはあまりできなかったけど、道行く人との短い交流が、私は大好きだった。

「あなたは特別だから」と言って、女の子はコインをくれた

ある日、駅前でいつものようにバイオリンを弾いていると、駅のほうから女の子とお母さんが歩いてきた。
女の子は4歳くらいに見えた。ピンクのワンピースに、ピンクのサンダル、小さな身体には少し大きいこれまたピンクのリュックサックを背負って、お母さんと手を繋いでいた。
彼女はバイオリンを弾く私の目の前で、繋いだ母の手を引っ張って立ち止まった。それは私の前で初めて立ち止まった人だった。

彼女はその目を大きく見開いて、ついでに口も開けて、食い入るように私を見ていた。お母さんが手を引っ張って「さあ、行きましょう」と促しても、頑なに動こうとせず、私をじっと見ていた。
私は彼女の注目を一身に浴びて、なんだか照れ臭くなった。彼女の大きな目を見返すこともできず、なんとなくはにかんだ笑顔を浮かべながらバイオリンを弾き続けた。

しばらくして彼女はお母さんに手を引かれて、しぶしぶといった様子で歩いて行った。そのあと私の演奏していた曲も終わりを迎えた。
かわいい女の子だったな……。私はまだあの娘の大きな目を思い出していた。
すると次の瞬間、女の子が歩いて行ったほうからタタタタっと足音が聞こえた。あの子がお母さんを振り切って、走って帰ってきたのだ!
女の子は持っていたリュックサックを開けて小さなきんちゃく袋を取り出し、それをバイオリンケースにひっくり返した。中からコインがたくさんこぼれ落ちた。

私があっけにとられていると、彼女はまたリュックサックに手を突っ込み、今度はカラフルな銀紙に包まれた卵型のチョコレートを取り出して、私の手に押し付けた。
「これ、あげる!あなたは特別だから!」
大きな声でそう言い放つと、彼女はリュックサックを抱えて走って行ってしまった。
私の手には小さなチョコレートと、衝撃と興奮が残された。

もしもまた会えたなら女の子に与えたものの正体を聞いてみたい

私は人にもらってばかりで、誰かに何かを与えることができない。
この日まではそう思っていた。
バイオリンを見た女の子の顔。それは驚きと、憧れと、興奮の表情だった。
女の子は自分の意志で持っていたお小遣いを私のバイオリンケースに入れた。お母さんを振り切ってまで。
彼女は私の短い演奏で、何かを得たのだろう。私は彼女に何かを与えたのだろうと思う。

それは本当に一瞬の出来事だったけど、それから8年経った今でもそのときのことをよく覚えている。
もしまたあの女の子に会えたなら、バイオリンの音色を聞いてどんな気持ちになったのか、そのあと音楽に興味を持ったのか。あの時私が与えたものの正体を、聞いてみたいような気がする。