私は小学生のときに、小説家になりたいという夢を持った。

きっかけは母だ。母は幼いころから本が好きだったらしく、大学では図書館司書の資格を取得したという。
私は物心ついたときから、リビングのダイニングテーブルで本を読む母の姿を見てきた。
小学校低学年の頃、学校から帰ると、たいてい母は本を読んでいた。母は私に「おかえり」と言うと、おやつの用意をする。私が学校であった出来事を話したり、返されたテストや学校から配布されたプリントを母に見せたりするのがひと段落すると、母はまた本を開く。私は母の斜め向かいの席に座り、宿題を始める。ふたりでおやつをつまみながらゆっくりと流れる時間がとても好きだった。
私が宿題を終えても、母は本を読み続ける。穏やかな表情で、同じ姿勢で文字を目で追い続ける母。母はここにいる。私が話しかければ顔を上げて答えてくれる。でも、なぜか魂の半分はここにいないような気がして不思議だった。「あ、もうこんな時間だ」と、母は本を置いて晩御飯の支度を始める。「面白くて、この本の世界に夢中になっちゃった」と母は笑っていた。
小さい字でびっしりと書かれた分厚い本の、何が面白いのだろう。挿絵の多い本の方がいいのにな。と、当時の私は思っていた。

どこにでも行けて何にでもなれる本の世界に心躍らせる

小学校高学年になり、習い事に忙しくなった私は、夕方の時間を母と過ごすことは少なくなった。しかし、受け継いだ母の血が目覚めたのか、徐々に本を読むようになり、私はファンタジー小説に夢中になった。
時間を忘れて読み続け、登場人物に感情移入して涙を流した。ふと、母の気持ちが分かった。私は今きっと、昔は不思議で仕方がなかった本を読む人の姿になっている。私は“本の世界に入った”と感じた。
そこから私は、本の世界に夢中になった。いつでも本を開けば、どこにでも行けた。地元の山に囲まれた田舎とは遠く離れた海沿いの街、大都会、外国、数十年も昔、近未来、宇宙。同世代の男の子、誰もが羨む美女、魔法使い、誰にでもなれた。

図書館や書店でずらりと並んだ本を見るとわくわくした。一生かかっても、ここにあるすべての本の世界に行くことは困難な程の、圧倒的な数の世界に心が躍らされた。

そしていつしか「自分も本の世界を作りたい」と思うようになり、小説家になりたいと、家族や仲の良い友達にも宣言していた。誰にも見せない秘密のノートに物語を書き連ねた。いつか大作が出来たら母に読んでもらおうと思っていた。

「小説家になりたい」芽生えた夢は引き出しの奥にしまった

中学・高校と進むにつれ、私は昔恐れていた“小さい字でびっしりと書かれた分厚い本”を読むようになり、その世界を母と共有するようになった。
しかし、当時の私にとって、小説家になりたいという夢を語るのは、恥ずかしいことのように思え、その夢を語ることはなくなった。現実を考え、安定性を優先し、学校の先生に勧められた理系の進路に進んだ。いつの間にか、秘密のノートは引き出しの奥底に埋もれていった。

それでも変わらず、大学・社会人と進む中でも、私は本の世界を楽しんだ。学校の授業や、社会人生活に行き詰ったとき、本の世界での気分転換は私を救ってくれた。

そして、2020年。未知のウイルスによる感染症が蔓延し、私たちは自由に外出ができなくなった。実家に帰ることもできない、友人と遊びに行くこともできない、退屈な休日を救ってくれたのは、本だった。今までと同じように、私は本を開いて本の世界に行った。世の中が暗い状況だからこそ、本の世界はより輝いた。いくつもの異世界に旅をして、私は本が好きだと改めて感じた。そして、感動した本を実家の母に送り、LINEで感想を送り合った。母と本の世界を共有したのは久しぶりだった。

もしも本の世界を作れる人になれたら、最初に母を招待したい

やっぱり私は、本の世界を作りたい。小説家になりたい。

私の中で長い間閉じ込めてきた夢が、再び湧き上がってきた。
どんな状況でも、読んだ人がどこへでも行け、誰にでもなれるような世界を作りたい。

私は今、今まで以上に本を読み、文章の勉強をしている。すぐに叶えられなくてもいい、年を重ねてからデビューした小説家もたくさんいるらしい。
私が作る世界に一番最初に招待するのはやっぱり、本の世界の楽しさを教えてくれた母がいい。私が作る世界に夢中になる母の姿を見たい。だから、すぐに叶えられなくてもいいとはいえ、少し駆け足で進んでいく。