怖い怖い。
尽くすことで愛情表現をする私にとって、恋愛は怖い。
尽くしすぎると、相手は安心しきって浮気するか飽きる。
そうやっていろんな男に捨てられてきた。
怖い。いわゆる’’尽くしちゃん’’の私を変えたのは彼氏の一言だった。

『は?100%愛せよ。』

まじかーーーーーそれを言ってしまう???
心の中で安堵した。偉大な一言だった。

相手を愛し尽くしすぎることが、いつも捨てられる恐怖に変わる

遠距離恋愛中の彼氏。女子にわかりやすい言葉で表すとしたら、ドSの俺様少女漫画主人公、と言ったところだろうか。

去年の今頃、冬の日、21時頃だったか、「はじめまして」の一言で対面。当時所属していた団体の上司からの紹介で出会う。普通の出会いだった。その6時間後、「俺の彼女になる?」と言われ、よくわからないまま付き合ったのが事の発端だ。

恋愛のトラウマは消えづらい。何か大きなインパクトがないと消えない。インパクトと言うのは、「受容される」というイベントだろうな。私のトラウマが消えたことも、そのイベントを経てのことだった。

もともとゲームキャラクターのオタクと、バンドマンの追っかけまでしていたから、超最強のオタクだった。好きなキャラクター(人)に心血を注ぎ、愛することができる。

そんな人間が、人間とお付き合いしたら、、?
ターゲットが、手の届かないキャラクターやステージの上の人間じゃなくて、自分だけの存在として位置する彼氏になる。それはそれはもう、常人じゃないくらい愛することができる。相手に不安など与えないよ。

しかし、いつしかそれも、前述の通り、歪みを生み出す原因になり、愛することは相手を手放す、、捨てられる恐怖に変わる。

これは現実?彼氏の受容キャパシティのレベルに衝撃を受ける

でも、私の愛の形はこうでしか表せないから。
それを受け入れて欲しいしそう言う人間だと知って欲しい、受け入れてもらえないのであれば、そこまで。それでいいのだ。。と思って、ある日彼氏に思いの丈を素直に言った。

「100%愛を注ぐのは難しい、怖い」そう放つと、

『は?100%愛せよ。』

さらに続けてこう言う。
『100%とか当たり前だから。超えてこいよ。』

こんな切り返しができる男が存在できたのか……地球よ……。
漫画か、漫画なのか……??私を異世界に飛ばしたのか……。

そう思った瞬間だった。

彼氏の受容キャパシティのレベルが高いことに驚く。私のトラウマも、私の愛の形も、受容された一言。たった一言。しかもこれは現実だ。

これを受容してくれる人を、私は22年間ずっと探していたよ。
正直見つからなかったけど、ここにいた。

あ、私はこれでいいんだなあーって、自己肯定できた。
同時に、100%の愛を注いでやろうと、思えた。
「嫌われないようにバランスをとる期間」から、「恋愛する期間」に変わる瞬間だった。前を向いた。

「愛情表現の言語化ができない」。そのトラウマを消してくれた言葉

ちなみに、捨てられることが怖いと言うトラウマは、もう一つ致命的な弊害をもたらす。

愛情表現が言葉でできない。
愛情を全面的に出したら引かれる、自分が思ってるだけかも、そんな不安が脳裏をよぎるから。

キャラクターを愛するときは、「好き」とかそんなこと言わなくともわかってくれていた。結ばれてラブラブになるシナリオが頭の中で出来上がっていたからだ。バンドマンにも「好き」だの「寂しい」だの言わない。自分が会いにいき、勝手に愛することが前提だからだ。だから、どんなに好きでも言葉にして愛を伝えることが苦手だった。

けれど、100%愛するには、この壁は超える必要があるし、超えたかった。
私は変わりたかった。

彼は言う、
『安心して愛しなよ。』(←まじで前世に少女漫画界で男やってた?)

私がトラウマ化した愛情表現、できない愛情の言語化、この人は、受容してくれるんだなあって、思えたんだよなあー。
巷には「わがまま言って愛されよう」「彼に愛するには自分磨き!」的な恋愛本、転がってる。

でも、「受容される経験」が何より強いのではないか。何にも勝る。自分を肯定してくれる強固な経験となり、トラウマを消し、次の一歩を自分らしく進める経験となる。

はあ、そういえば、付き合って1年経ったな。

私を受容してくれてありがとう、
愛情は前年比100%超えを期待してろよ、彼氏くん。