「得意料理?チャーハンですかね」
そう言うと大抵、相手の口角はピクッと引きつった。
「あとよく作るのは、うどんとかパスタとか」
「たまに野菜炒めたりもしますよ」
言葉を重ねれば重ねるほど、相手の表情は曇っていく。続く反応は深いため息、あるいは苦笑しながら「なるほどね、大体わかった」というような返答。
がっかりさせているのはわかっていたが、どうしてもそう言うことしかできなかったのだ。
「おいしいごはん」というプレッシャーが苦で、料理が好きじゃない
料理が好きじゃなかった。
もっと正確に言えば、他人に料理を作ることが苦手だった。
時間を気にしながらいくつもの作業を並行して行い、味が薄いか濃いか、気に入ってもらえるか否かと心配して、どんどん溜まっていく洗い物や手のベタつきにうんざりしながら、見栄えや栄養バランスまで考えて……。
年に数回、実家で母親の代わりに夕食を作るだけでも、毎度どっと疲れてしまう。
自分一人のための料理なら、さほど苦にはならないのだ。
要するに「おいしいごはんを食べさせて!」という、他人からの無言のプレッシャーに弱いのである。
「普段、料理とかするの?」「得意料理は何?」といった質問に素直に答えられないのも、そのためだった。
ところが最近、料理がマイブームなのだ。
スーパーで安い野菜を見かけたら、すぐにレシピを検索。グルメ漫画やネット記事で真似したい料理を発見しては、その都度きちんとメモ。買い物しながら「今日は春っぽいメニューにしよう」などと考えて、うきうきと献立を組み立てる。
仕事を辞めて節約生活を始めた時も、外出自粛で自炊が増えた時ですら、こんなに前向きな気持ちで料理に取り組んだことはなかった。
変わったきっかけは、料理の腕前が自分と変わらないパートナーの存在
変わったきっかけは、何のことはない。今のパートナーとのお付き合いが始まったからだ。
パートナーの料理の腕前は、自分とさほど変わらない。自炊の頻度で言えば、むしろ少ないくらいだった。
しかしながらそのパートナーが、驚くほど頻繁に「ごはん作るよ」と言ってくれるのだ。
自分の家に招いた時だけでなく、私が仕事で忙しいと言えば「何か料理作っていこうか?」と言って持ってきてくれる。ひじきの白和え、豆腐ハンバーグ、かぼちゃ入りのカレー、にんじんしりしり、さつまいもごはん……今まで作ってもらったメニューはもう数えきれない。
そうして何度もごはんを作ってもらってると、なんだかうずうずしてくるのだ。私もこの人に料理を作って振舞いたい、「おいしい」と喜ぶ顔が見たい……!
思い返せば、実家の母も料理が嫌いだと言っていた。全然楽しくない、できることならやりたくないと文句を言いながら、それでも毎週のように新しいレシピを取り入れて、家族のためにごはんを作ってくれていた。「あなたたちにおいしいものを食べてほしいって思ってなかったら、こんなこと絶対やらないよ」と笑いながら。
「料理を作る」という一大プロジェクト遂行のカギは、シンプルな愛情
母は偉大だ、と改めて感謝の念をおぼえながら、それでも今では、母の気持ちがなんとなくわかる。
「料理を作る」という一大プロジェクト遂行のカギは、大切な人の健康を支えたい、喜ぶ顔が見たいというシンプルな愛情だったのだ。
昨年、よしながふみ原作のドラマ『きのう何食べた?』の映画化作品が公開された。ゲイカップルの日常を手料理と共に描くストーリーで、ほのぼのとした内容とおいしそうなごはんが人気となっていたが、タイトルがうまいなと感心した。「きのう何食べた?」という質問は大抵、「ちなみに私はこれを食べました」という話題の伏線。そしてその食事風景には、大切な人と過ごした時間が映し出されるのだ。
「得意料理は?」と聞かれると困ってしまうのには、未だ変わりない。ただ、パン好きなパートナーのために「最近、パン作りの練習中です」と言える程度には、私も成長したのだった。